〜 ten years after 〜 10年後の日常
† 弱気 2 †
「不二、じゃあ俺会社行ってくるから起きたらちゃんと医者に行けよ」
英二の声が遠くで聞こえる。
きつい薬を飲んだ所為でぼうっとした頭と後から後から襲ってくる睡魔の羽間で僕はぼんやりとその声を聞いた。
それから数時間経ってようやく僕は目が覚めた。
時計を見たら13時過ぎ、食欲はないけれど何かを胃にいれないと熱冷ましの薬を飲む事ができないので僕はだるい体を無理矢理起こして台所へ向かった。
そこでありもしない光景を目にしてしまった。
「人んちの台所で何してるの?」
「病人におかゆ作ってるんだけどな」
「頼んだ覚えない」
「菊丸に頼まれたんだ」
「英二に・・・?」
「お前、眉間に皺よってるぞ」
その男、佐伯虎次郎は台所で例のクマのエプロンをつけて鍋に火をかけていた。
まさかこんなところに佐伯がいると思わなかったわけで最初は熱でとうとう幻覚でも見えてしまったかと思ったが、彼は残念ながら幻でもなく本物だった。
「ここがよく分かったね」
「不二の実家に電話したらおばさんが教えてくれた」
「・・・・・・(ちっ、母さんも余計な事を)」
「そして昨夜不二の携帯に電話したけど電源入ってなかったみたいだからここの家の電話にかけたら菊丸から不二が高熱で寝込んでいるって聞いたんだ。それで俺、今日は仕事休みだから不二の看病に行くよって言ったら快く引き受けてくれたんだ」
「うまいこと言ってるけどどうせ僕らを見物に来たんだろ?」
「おばさんから不二が菊丸と同居してるって聞いたときは正直吃驚したよ。『しまった!先越された』と思ったよ」
「何が『先越した』だよ。実際にこの家の中をみて現状が分かっただろ」
「ああ、よくわかったよ。お前達は『普通の同居人』だってね。じゃあ俺にもまだチャンスがあるってわけね」
「ちょっ・・・ちょっと待てよ!!英二は僕達と違うっ・・・うっ」
少し頭に血が上った所為か突然頭に激痛が走りその途端床が揺れた。
いや床が揺れたのではなくて自分の体が揺れたのだと気付いた時には膝を床につけ
両肩を佐伯に支えられていた。
「熱出てるのに悪態つくなよ」
情けないと思ったが僕は佐伯に掴まる形で支えられソファに座らされた。高熱で体に力が入らないことが恨めしく感じてしまう。
「具合良くなったらいつでも文句くらい聞いてやるから今は寝てろ。おかゆ、少しくらいなら食えるだろ?」
「待った」
僕をソファに座らせて自分は立ち上がってキッチンに向かおうとした佐伯の腕を掴んで引き止める。今言っておかないと後々面倒になる。
「英二には手を出さないでほしい」
「不二がそんなこと言える権利はないだろ」
「そうだけど、英二は僕達と違ってノーマルなんだ。佐伯だってそれくらいわかっているだろ?大学生活を一緒に送ったんだから」
「確かに大学時代の菊丸は合コンの幹事とかやって女と付き合ったりして俺たちが付け入れなかったよな。けど俺が菊丸に何も出来なかったのは不二が邪魔ばかりしてくれてたってのもあるんだぜ」
「英二を君の毒牙にかかられたくなかったんだよ。だから英二に気付かれないようにあの手この手で英二を守ったんだよ」
「おかげで俺は何の為に大学を青学にしたのか意味なかったじゃねえか。菊丸が商学部に進学するという情報を得てたのにいきなり間際で進路変更してるし・・・大石が宮崎に行ったからその穴埋めで菊丸とテニスでダブルスペア組めると思ってたのに『二人とも前衛だ』ってことで公式戦では一度もペア組めなかったしな」
「僕と楽しい大学生活が送れたじゃないか。大学に進学してすぐにうちに遊びに来たときに母さんも姉さんも喜んでいたよ」
「フン、幼馴染みがよもや恋敵になるとは思わなかったぜ」
「それはこっちの台詞」
佐伯は深い溜息をついた。立っていたはずの彼はいつの間にか僕の隣に座っている。すると彼の携帯が短い音を奏でた。
「お、菊丸からメールだ。どれどれ」
佐伯はあからさまに僕に見せ付けるように大げさに喜んで携帯電話を取り出した。
しかし画面を見ている彼の顔がだんだんと強張った。
「・・・ほれ」
佐伯が僕に携帯の画面を見せる、そこに書かれていた英二のメールは
「佐伯、不二の看病ありがとにゃ〜!不二の具合はどう?熱下がった?ちゃんと医者に行ってる?あいつすぐに無理するから無理しようとしたら無理矢理でも寝かせていろよな」
僕は苦笑した。
今英二は昼休みなんだろう。そしてめずらしく高熱を出した僕を気遣って佐伯にメールしてきたのだ。
「菊丸って本当にいい奴だよな」
「だろ」
「菊丸は不二が同性愛好者だって知ってるのか?」
「知らないと思う。僕も言ったことない」
「知ったらどんな顔するだろう」
「・・・分からない。きっと軽蔑されるか汚いものを見る目で見られるかもしれない。だから僕は何も言わない」
「気付かれたらどうする?」
「実はこの前“劇場”に行ったんだ。そこで捕まえた男の子と一緒にいるところをたまたま仕事で外に出ていた英二に見られてしまったんだ。親戚の男の子だと言ってなんとか誤魔化したけどね」
「不二は最近“劇場”で同じ男の子ばかり捕まえているって聞いたけど」
「佐伯は余計な情報だけは素早く掴んでいるね」
「朝霧に聞いたんだよ。あいつ潮也と仲いいから」
「朝霧って?」
「俺が今付き合っている奴。半年前に日本に一時帰国した際に出会ってそれから遠距離交際してたんだ。そいつが不二がよく捕まえている潮也って男の子と仲いいんだよ」
「佐伯は付き合っている人がいるのに英二まで狙おうとしてるの?」
「菊丸は手に届かない“初恋の人”だよ。付き合っている奴とはまた別格」
「都合のいい解釈だね」
「不二は“劇場”に行っては潮也ばかり捕まえているのに何故潮也と付き合おうとしないんだよ。やっぱ体の相性がいいってそれだけ?」
「・・・・・・潮也は少し英二に似ているところがある」
「身代わりか?」
僕は静かに頷いた。
「あくまでも“身代わり”だよね。本物の英二じゃない。それは充分僕だって判っているよ。だから潮也とは付き合わないんだ。あくまでも“劇場”で捕まえるだけ。その場限りっていう“劇場”のルールを僕は利用しているに過ぎないんだ」
「不二は大学時代に女としばらく付き合っていた時期あったじゃん。あれってやっぱ菊丸の為だったのか?」
「英二が幹事をやる合コンで男の人数が足りなかったから参加したんだ。そしたら英二好みの女の子がやたらと僕に話しかけてくるからうざったくて、だから参加している女の子の中で一番地味な女の子にとっとと決めたら僕の策略通りに女の子は英二のところへ行ったよ。別に僕は誰でも良かったんだ。英二に『女の子を取られた』なんて恨まれる方が辛いからね」
「不二・・・お前は菊丸が女と付き合っているのを見て楽しかったか?」
「僕は英二が楽しくて幸せならそれでいいんだよ。それよりも僕はひょんなことで女と付き合うようになってしまって『いかにして悲しませずに別れられるか』を考えるので必死だったから」
「何が必死なんだ!テニスに没頭するフリして上手い具合に自然消滅に持って行ったのはどこの誰だよ!」
「まあ女の子と付き合うのも良い社会勉強になったよ」
「・・・不二」
「何?」
「お前、こういう生活してて辛くねー?中3の時から好きなくせに何も言わないで・・・。おまけに大学時代には菊丸の為にあれこれ合コンに参加したり、好きでもない女と付き合ったり。今は付き合う奴を作らずにただ“劇場”に行ってその場限りの男を捕まえるだけでステディな関係には決してならずに・・・・・・これもそれも菊丸の為だろ?お前本当に純愛だよ、しかもこんなに純愛なのにずっと友達のフリして・・・10年も片思いしてる相手と同居してて本当に辛くないのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
僕は何も答えなかった。
否、答えられなかったのだ。
佐伯の言っていることが図星だったから・・・
僕は英二と同居しはじめた時に自分に誓った。
「英二とは“親友”になる」
そして自分の本当の気持ちを心の奥に封印した。
自己暗示とはよく言ったもので僕もこの数ヶ月で「英二とはただの同居人であり青学時代の同級生でありそして親友」と思い込めるまでになった。
何の変哲もない普通の同居生活。
時々訪れるかつての学友たち。
僕はそれで満足だった。
しかし佐伯はこんな僕の心の奥の封印をあっさりと解いてしまった。
たったひとつのメールで・・・
『やっと日本に戻ってきたよ。お前今菊丸と同棲してんだって!?ってことはもう菊丸をモノにしたのか?』
やっと何も思わないでいられるようになったのに
僕は再び英二のことを意識し始める。
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