| 〜 ten years after 〜 10年後の日常
 
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 正直戸惑っていた。何も考えられずただベッドに上半身を起こしたまま携帯電話を握り締めていた。
 ディスプレイの時刻は4:30
 窓の外の公道を走る朝刊配達のバイクの音
 そろそろ夜が明ける。
 一体俺は何時間こうしていたのだろう。
 もう何時間前にもなるあの声がまだ耳に残っている。
 電話越しの越前は泣いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 スポーツ雑誌何社かの取材を受けてクラブハウスのロビーに入るとそこにありえもない二人がいるので驚いた。
 ロビーのソファで詩織さんと談話していたのは越前だった。
 越前が何故ここに?
 そして何故詩織さんと話をしているのだ?
 
 前日に越前を抱いた。
 越前は寮生活だし俺の自宅は両親がいたのでホテルに行った。正直言ってこのようなところに入るのは初めてで男同士でも入れるものなのか判らなかったのでインターネットで調べてみたら鍵の受け渡しも料金の支払いも全て機械で行い従業員と顔を会わせることがないというので思い切って行ってみた。
 風呂場が広くてゆったりしていたので二人で入っている最中にコトに及んでしまった。
 立ったまま越前と繋がった時に越前に「先輩って激しかったんだ」と言われた。
 自分にこんな激情があったとはと正直自分でも驚いている。背後から越前を抱きしめながら俺にもこんな一面があったのだと思い知らされそして自分でも知らなかった部分を引き出した越前は本当に不思議な奴だと思う。
 そしてそんな越前に俺は惹かれた。
 男とか女とかそんなことは関係なかった。
 越前リョーマという一人の人間に対して惹かれたのだ。
 
 
 
 
 
 俺が越前と詩織さんに声をかけると越前は座っていたソファからすっと立ち上がった。
 しかし越前は俺に次の大会への出場決定を告げただけで去っていった。
 周囲に記者やカメラマンの目もあったからかもしれない。
 
 そして日付が変わる直前に突然鳴り響いた携帯電話。
 ディスプレイの番号は越前からの着信を表示していた。
 
 
 「・・・こんな遅い時間にすみません」
 「いや、構わない。それよりどうしたんだ?」
 
 
 電話越しだから姿は見えないが越前の苦しげな嗚咽は俺の耳から脳にダイレクトに響いた。
 その息遣いが俺の下で妖艶に喘ぐ姿をフラッシュバックさせて背筋に何かが走る。
 その声を聞くだけで躰が熱くなる。
 そして告げられた言葉は俺たちの一線を越えた関係への終止符。
 
 「元の先輩後輩に戻りましょう・・・」
 
 
 
 
 
 「・・・詩織さんに何か言われたのか?」
 「・・・・・・違う」
 「じゃあ何故・・・」
 「・・・俺、手塚先輩よりテニスを選びます。テニスで上を目指すにあたって手塚先輩とは常にライバルでいたいんです。元々そのつもりで俺は○○金属からのスカウトを真っ先に断ったんです・・・だから・・・・・・」
 「越前・・・」
 「・・・昔からずっと好きだった手塚先輩に愛してもらえて嬉しかったです・・・夢のようでした・・・・・・正直今でも俺は手塚先輩のこと愛しています。嫌いになったからこんなこと言っているんじゃありません・・・好きだからこそ・・・好きだから・・・・・・」
 最後は嗚咽で聞き取れなかったが越前の気持ちは痛いほど判った。
 乾が俺の周辺を探っているらしいということを先日木下さんから聞いた。
 おそらく乾は俺達の関係に気付き越前に何かを言ったのだろう。
 俺だってこの腕に越前を抱きながら思った。
 いつまでもこんな関係は続けていられないと。
 男同士が愛し合うということ、そして性行為を行う事が受け入れ難い今の社会では尚更の事。
 まして先日の会社の関係者や取材陣達の俺と越前を見る好奇の目。
 これはきっと詩織さんとお付き合いを続けながら越前との関係に踏み込んでしまい宙ぶらりのままフラフラしていた俺への天罰なのだろう。
 「愛しています、手塚先輩。でも俺は恋愛感情を抜いて手塚先輩と真剣勝負がしたいのです。これからは先輩に愛された事をこの胸に大切にしまって上を目指します」
 越前が苦しみぬいて出した結論がそれならば俺も全力で応えよう。
 「・・・判った。それがお前が出した結論なら俺はお前をもう抱かない。これからは普通の先輩後輩として全力で真剣勝負をする」
 「・・・ありがとうございます」
 「だが、最後にもう一度言わせてくれ・・・」
 「・・・何です?」
 「あ、・・・・・・・・・・・・」
 
 『愛している、越前』と言おうとして言葉に詰まった。
 最後にもう一度言いたい言葉だがこれを言うと苦渋の思いで出した越前の決意を崩してしまいそうで言えなかった。
 
 「俺はテニスで頂点を目指す、お前も早く上がって来い」
 
 無難な事しか言えなかった。
 これしか方法はないだろう。
 「はい、ありがとうございました先輩。ではおやすみなさい」
 「ああ」
 
 
 
 
 「Ich liebe dich.」
 
 
 
 俺は携帯の通話終了ボタンを押した。
 
 
 
 俺が最後に小さく呟いた言葉は越前には解っただろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 * * * * * * * * * *
 
 
 
 
 
 
 
 
 「こんなに熱を出すなんて・・・日頃から体調管理はしっかりしろと言っているだろう」
 「・・・すみません」
 
 夜中の電話で泣き疲れて朝を迎えたら天井がぐるりと一周して視界が反転した。
 起き上がれずにずるずると這いながら携帯電話を取り上げて乾さんを呼び出したら起き上がれない原因は高熱の為であった。
 そして熱でふらふらしているのに朝っぱらからこっぴどく叱られた。
 「頭に響く・・・熱下がったらいくらでも叱られますから今は黙っていて下さい」
 「お前の動物並の頭じゃその場その場で言っておかないと言う事聞かないだろう」
 「・・・それ酷い」
 「だったら熱なんか出すな」
 「・・・すみません」
 
 乾さんが用意してくれた氷枕の冷んやりした心地よい感覚にそっと目を閉じれば夜中の手塚先輩の最後の言葉を思い出して目の奥が熱くなった。
 『Ich liebe dich.(イヒ・リーベ・ディッヒ)』
 確かに電話を切る前に手塚先輩はそう言った。小さな声だったけどそう聞こえた。
 ドイツ語で「I love you」
 学生時代にドイツで肩と肘のリハビリを受けたことのある手塚先輩に少しでも近づきたくて大学での第二外国語の選択をドイツ語にした。
 そして少し覚えたドイツ語。
 
 手塚先輩ずいぶんと気障なことするじゃん。
 
 そして手塚先輩は普通の先輩後輩に戻ってくれと俺の我侭を受け入れてくれた。
 そしてこんな身勝手な俺をまだ愛してくれていると言ってくれた。
 愛されるという事だけで十分幸せなんだと何度も何度も自分に言い聞かせる。
 「・・・越前?」
 乾さんが俺の目尻をタオルでそっと拭いてくれた。
 いつの間にか堪え切れなかった涙が溢れていたらしい。
 「乾さん・・・」
 「何だ?」
 「俺と手塚先輩は普通の先輩後輩に戻りましたから・・・」
 「・・・・・・そうか」
 「だから熱が下がったら今度の大会で手塚先輩に勝てるよう練習メニューを組んで下さい。もっともっと色々な大会に出て勝ち進んで、早くウィンブルドンのセンターコートに立ちたい」
 「・・・解ったからそう焦るな。今は早く熱を下げることだ」
 「はい」
 後から後から流れ出る涙を乾さんは黙って拭ってくれた。
 「昨夜TVの洋画劇場で“ローマの休日”をやっていたのだが観たか?」
 「いいえ」
 この人はいきなり何を言い出すのだろう。映画の話だなんて・・・・・・
 「王女と新聞記者の恋。お互い愛し合っているのにそれぞれの立場上の理由で別れなければならない、可哀想だけどお互いの為にはそれしか方法がなかったんだ。あの二人はお互い愛し合ったことを胸に秘めてそれぞれの道を歩んでいくんだな。小さい頃はなんて可哀想なひどい映画だろうと思っていたが大人になってようやくあの映画の良さが解ってきた。人を愛することって大変だな、そして悲恋は胸を打たれいつまでも心に残る」
 
 
 乾さん、それは俺たちのことを言ってるの?
 
 
 
 
 
 
 
 
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