〜 ten years after 〜 10年後の日常

† きっかけ †



昨晩夢を見た。
変な夢だった。
見知らぬ女が僕の腰にすがり付いて泣いている。
詳しいことは判らないけれど自分の思い通りにならないことがあってこの女は泣いている。
僕はこの女を見下ろして冷ややかに言ってやった。
「泣いたら誰かがなんとかしてくれるとでも思ってるの?君って今までそうやって生きてきたんだ?ふ〜ん?でも泣いても世の中どうにもならないことなんて山程あるんだよ。泣いてなんとかなるとでも思ってんだ。でもそうはいかないんだよ。いい加減解ったらどう?」
すると女は僕の腰から腕を離し床に突っ伏して大泣きしはじめた。
けれど僕はこの女を黙って見ているだけだった。

誰かに助けてもらう前に自分でなんとかしてみたらどうなの―――――



不快な気分で目が覚めた。
枕元に置いてある携帯電話の時刻を見ればいつも起きる時間の30分前。
僕は頭に残っている不快な気分を晴らすためにスーツのポケットから赤いマルボロのボックスとジッポを取り出してバルコニーに出た。
「ふう・・・」
一本吸うと気持ちも次第に落ち着いてきた。
あの女は誰だったのだろう?
見知らぬ女だ。
自分の思い通りにいかないと拗ねて泣いて我侭言って周囲を巻き込んでなんとかしてもらおうという典型的に嫌なタイプの女だ。
だいたい人を頼ろうとしているのが間違っている。人は結構自分のことで精一杯なのだからそこまで人を構える余裕すらないし、以外と世の中の人間っていざとなると他人に冷たいものだ。
女という生き物は結構ずるい生き物だと思う。
泣き喚けば何でも通ると思っているのだろうか?
まるで子供と一緒だ。


しかし何でこんな夢を見たのだろう・・・




* * * * * * * * * *


取引先の担当者に送る書類とデータの入ったCD-Rを直接会って話したい事もあるし郵送を取りやめて直接先方の会社に持って行くことにした。
先方の会社の社屋のフロントに入ると空調がゆきとどいていて熱波を歩いてきた僕の熱くなった体を鎮めてくれる。
僕はフロントの受付係に近づき来社目的を告げる。
「○○商事の不二と申します。開発建築部の曽根さんをお願い致します」
受付嬢という言いかたは古いのかもしれないけどその受付にいた女性は慣れた様子でてきぱきと内線電話で開発建築部に僕の来社を告げた。
しかし電話を置いた受付の女性はこう言った。
「申し訳ありません。曽根は緊急の用で30分ほど前に外出してしまいまして、それで別の者が不二様宛ての書類を曽根より預かっているということですので今からその者がこちらに参ります。どうぞそちらの椅子にお掛けになってお待ち下さいませ」
受付嬢はご丁寧に受付ブースから出てきてフロントにいくつか置いてあるテーブルと椅子のセットに近づいて椅子を曳いて僕に勧めた。僕も言われるまま椅子に座る。
するとフロントの奥にあるエレベーターが開き中から一人の女性が出てきて僕に近づいてきた。
「○○商事の不二様でしょうか」
「はいそうです」
「不二様が来られるというのに曽根が外出してしまい大変申し訳ありません。こちらは曽根より不二様に渡す様にと預かりました書類です」
と僕にA4版の茶封筒を差し出した。
「あ、いえ曽根さんも色々とお忙しいみたいですしこちらこそ当日になって伺うなんて言って申し訳ありません。じゃあこちらを曽根さんに渡して下さい」
僕は代わりに鞄から封筒を取り出して彼女に手渡した。その時初めて彼女の顔をじっくり見た。
「・・・土山さん?」
「不二君、お久しぶりです。曽根から『この人がきたらこの書類を渡してくれ』って不二君の名刺を見せられた時にはびっくりしたわ」
「キレイなOLさんになってるから一瞬判らなかったよ」
「あらお上手ね」
「曽根さんが以前『事務の女の子が優秀だから自分も安心して出張ができる』って言っていたんだけど土山さんのことだったんだね。土山さんは大学時代も真面目だったから納得いくよ」
「私は『○○商事の不二さん』ってよく聞いていたけどまさか不二君のことだとは思わなかったわ」






思わぬ所で再会したこの女性は僕がかつてただ一度だけ付き合ったことのある女性。
人数合わせの為に英二が幹事をやっている合コンに参加して英二好みの女から逃れる為に来ていたメンバーの中で一番地味でおとなしそうなコをとっとと掴まえた。
思惑通り英二好みの女は僕が土山さんを掴まえた途端英二の方にとっとと乗り換えた。
英二とはいい友情関係を保ちたかったから女ごときでゴタゴタしたくなかったんだ。
しかしそれからがやっかいだった。遊び慣れている女ならちょっと遊んでやってお終いにできるけど土山さんはどっからみても真面目一直線なお堅くていかにも人数合わせの為に連れて来られましたというのがありありとわかる女性だった。
適当に遊んでお終いにすると酷く傷つくだろう。
話をしているうちに彼女が本当に真面目で純粋なお嬢さんであることが分かってきて何だか気の毒になってきた。大学で同じ専攻の遊び慣れた同級生やたまに合同合宿や親睦会をしたりする女子テニス部の連中とは違ったタイプの女性。
きっと僕が普通の男のように純粋に女性を愛することができたのなら彼女を大切にして愛することが出来たと思う。
でも僕は女性を愛せないし何度か形ばかりのデートをしてみても彼女とは良い友達になりたいとは思ってもそれ以上の感情は湧かなかった。
このままじゃ彼女は不幸になる。

少し考えた結果僕はテニスに没頭するという大義名分で徐々に彼女から離れることにした。
彼女は青学の文学部だったのでテニス部の練習に明け暮れている僕を見ていた。元々真面目な性格だから「私よりテニスを選ぶのね」なんて馬鹿丸出し女のような行動は取らなかったし彼女は手塚と同じ専攻だったのでテニスの試合等でしょっちゅう授業を抜ける手塚を目の当たりにしていたので手塚と行動を共にした僕のことも純粋にテニスが忙しいと理解してくれた。

そして僕らは自然消滅した。






「じゃあこの書類は曽根が戻ってきましたら渡しておきますので。今度来られる時はちゃんと曽根に居てもらうようにしますね」
「曽根さんによろしく」
学生時代と変わらない彼女の厭味のない微笑み。その左手の薬指に婚約指輪が嵌められてあるのを見て僕も頬が緩んだ。
彼女は今とても幸せなんだ。
僕では彼女を愛せなかった。自然消滅とはいえきっかけがきっかけだっただけに僕は心のどこかで罪の意識を感じていた。
彼女は今愛し愛されている。
キレイになって幸せ満載な表情を見て僕も少し心が軽くなって温かい気持ちになった。





* * * * * * * * * *



取引先の会社から帰社する途中で公園のベンチに座って一服する。
「あ、最後の一本だったんだ」
うっかり買い足すのを忘れていた。近くに煙草の自販機はあっただろうか。
土山さんに再会したこともあって一服しながらふと当時のことを思い出す。



形ばかりのデートをして駅で別れた直後に僕は佐伯に声を掛けられた。
「よお不二、どういう吹き回しだ?女の子とデートだなんて・・・今の青学の子?」
「文学部の子だよ。この前合コンで意気投合したんだ」
「嘘付け、何か訳ありだろう。僅かだが眉間に皺よっているぞ」
「別に訳なんかないよ、女の子と付き合うってどんなものか勉強してみたかっただけだよ」
「ふ〜ん、じゃあ不二はもう菊丸のことを諦めたってわけか、じゃあ俺が口説いてみようかな」
「駄目だよ、英二は英二でその合コンで別の可愛い子を掴まえたから」
「・・・お前ひょっとして菊丸をその子とくっつける為に何か工作でもした?そんで今の文学部の子とお前が付き合う羽目になってんじゃないのか」
「そんなことないよ」
「嘘付け、不二って表情が表に出ないタイプだけど今は無理しているって顔している。小さい時から不二のこと知っている俺だし俺達だけしか知らないお互いの世間に言えない趣向の持ち主どうしだから判るのかもしれないけどな」
佐伯はそう言ってポケットから緑のマルボロのボックスとライターを取り出した。
「佐伯、煙草吸ってたんだ・・・知らなかった」
「疲れたときに少し、な。テニスやってるからあんまり吸えないから家でしか吸わないようにしている。どうだ不二も一本、こーゆー時に一本吸うと落ち着くもんだよ」
「テニスしてるから煙草は吸わないことにしているんだ。それに僕はまだ未成年だよ」
「大学2回生なんだから構わないさ、それに半年も経てば不二だって二十歳じゃないか。まあ固いこと言わずに少しだけ吸ってみろ、それにこれはメンソールだから煙草と違って軽いしスーッとするぞ」
その時の僕はやはり佐伯の言うとおり疲れていたのかもしれない。佐伯に勧められるまま煙草を銜えて佐伯に火を付けてもらった。
初めての感覚。口の中に広がるミントの空気。ガムと違ってミントのスーッとするふわふわしたものが口内を漂い僕はすぐに煙を吐き出した。
「どう?」
「ミントガムのきついやつみたい」
不思議なことに一本吸い終る頃には僕の中でもやもやしていた何かがすぅーっと薄れていって佐伯が言うように少し落ち着いてきた。
落ち着いたらなんだか気が緩んで僕は佐伯に人数合わせの為に合コンに参加したことや土山さんと付き合うきっかけになったことを話してしまおうかと思ったけど英二にばらされると困るのでかろうじて喉まで出掛かっていた言葉を飲み込んだ。
「・・・初めての女性を相手に戸惑っていたんだ。少し落ち着いたよ」
佐伯は煙草を銜えながら僕の顔をただじっと見つめていた。黙っているけどきっとすべてを見透かされているに違いない。
それから僕は時々メンソールを吸うようになった。






僕は空になった赤いマルボロのボックスを近くにあったゴミ箱に投げ入れた。
勤めだして間もない頃佐伯から「メンソールは吸い過ぎるとインポテンツになるからほどほどにしとけよ。赤いマルボロは美味いぞ」というメールが来た。僕はそのメールを無視していたけどある日自販機で緑のマルボロが売り切れだったので隣にある赤いボックスを買ってみた。
美味かった。
初めての海外出張を終えたばかりで相当疲れていた所為もあっただろう。

僕は短くなった煙草を灰皿に押し付けてベンチから立ち上がった。
「さあ、仕事仕事」


あの日佐伯に駅で出会わなかったら僕は軽く気分転換することも人に言えない想いを抱えてイラつく想いから解放される術をも知らずに生きることになったのかもしれない。
とりあえず僕は幼馴染みに感謝をしてみることにした。






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