〜 ten years after 〜 10年後の日常

† 言わないけど想ってる †




明日からタイに三週間出張に行くことになったので今日は明日に備えて定時で帰ってさっさと寝てしまおうと思った。周囲も明日から当分居なくなる僕に急ぎの仕事を振ってこないしので僕も気楽に仕事をしていた。


「○○通りが交通閉鎖しているんですか?ええーっ!銀行強盗!!」
僕の後ろの女の子がいきなり大声を上げたので周囲が一斉に彼女を振り返った。
「課長、今○○信用金庫の本店に銀行強盗が立てこもっていて周囲の道路を交通閉鎖しているんですって!だから本山さんの乗ったバスが渋滞に巻き込まれていて帰社時間が遅れますって電話がありました!」
電話を置いて上司に報告する内容を聞いて僕は愕然とした。
「山手さん!○○信用金庫の本店に銀行強盗が立てこもっているって本当!」
気が付けば僕は詰め寄って訊ねていた。
「え、ええ。本山さんがそう言ってましたけど・・・不二さん、知り合いでもいるんですか?」
「・・・ああ」
何てことだ、本店といえば英二が今本店研修の真っ最中じゃないか・・・。
英二も巻き込まれているのだろうか?
時計を見る。4時半。
あと30分で定時だ。
定時になったら会社を飛び出して様子を見に行かなくては・・・

こんな時の30分はやたらと長く感じた。






* * * * * * * * * *






ニュースで立てこもり現場を見たことは何度かあったけど実際見てみるとかなり空気が張り詰めていてそして重たいものだった。
本店の道路周辺に張り巡らされた「危険・立入厳禁・警視庁」と書かれた黄色いビニールテープ、パトカーとまるで装甲車のような警察車両、カメラを抱えた報道陣の群れ、そして遠巻きに眺めている野次馬達。正直興味本位だけで見に来ている連中が腹立だしく思った。こちらは大切な人が中にいるかもしれないんだ。

英二は無事なのだろうか?
中にいるのだろうか?
一か八かで僕は英二の携帯に電話をしてみた。
しかし流れるのは「電源が入っていないか電波の届かないところにいます」という無機質なアナウンスのみ。
英二の安否が確認できない。

僕は近くにいた新聞記者に訊ねてみた。
「すみません、僕の知り合いがここに勤めているんです。どうしてこんな事になったのか教えていただけませんか?」

そして僕はその新聞記者から大体のあらましを聞くことができた。
3時の銀行が閉店になる直前に4,5名のグループが銀行強盗に押し入ったこと、直ぐにセキュリティーが発動したが店舗に居た客と行員を人質に取られて警備員が何もできなかったこと。
そしてそのまま立てこもっているということ。
2階と3階の事務所にいた従業員も皆店舗に集められて人質をひとまとめにされたこと。
1時間後に客だけ解放されたこと。
現在中にいるのは従業員のみ。

ということは
英二があの中にいる!

僕は全身の毛穴が開くのを感じた。
体が硬直する。
エレベータに乗ったときみたいに耳がキンとして野次馬の喧騒もどこか遠くで聞こえる。
それはまるで僕だけ時間が止まった感覚。

英二

中はどうなってるの?

怪我はないの?




どのくらい時間が経っただろうか、日もすっかり暮れて照明器具を積んだ車両がやってきて明かりが本店に向けて照らされた。

そのとき裏口の方で歓声が沸き起こった。

人質が解放されたらしい。

駆け寄る警察官達
追いかける記者達
詰め寄る人々


僕は慌てて人を掻き分けて前に進む

解放された人の中に英二の姿を求める




しかし解放されたのは女性従業員のみだった。



僕は彼女達に英二が中にいるのか聞こうと近づいたけど警察官に遮られた。
「すみません!僕の知り合いが中にいるかもしれないんです!教えてください!」
僕は立ちはだかる警察官の間から彼女達に問いかけた。
「私の弟が中にいるかもしれないのよ!いるかどうか教えてよ!」
不意に僕の後ろから女性が割り込んできて警察官を押しのけるようにして叫んだ。
「ねえ弟がいるかどうか教えてよ!」

「美香さん・・・」
その女性は英二のすぐ上の姉の美香さんだった。

「中で人質になっている従業員のご家族さんですか?」
警官の1人が美香さんに近づいた。
「S支店の菊丸英二の姉です。弟は今本店研修に行っているの。だから巻き添えになってるかもしれないのよ」
「ちょっとこちらに来てもらえますか」
警官は美香さんを女性従業員達が状況説明をしているのであろう警察車両の大型バスの方へ来るように手招きした。
「行くわよ不二君」
「えっ」
美香さんは僕の腕を取って警察車両へ向かった。
「その男性は?」
警官が僕を睨む
「私の連れよ!」
美香さんは僕を睨んだ警官にきっぱり言うと僕の腕をずんずんと引っ張って行った。
こういう時女性って強いものだと思った。
いや、弟を思う美香さんが強いだけかもしれない。











美香さんのお陰で僕は英二が事件に巻き込まれたことを知らされた。
銀行強盗が押し入った時に英二は2階の事務室に居たらしい。
犯人の要求で1階の店舗に集められて従業員達の携帯電話を取り上げられたとのこと。
そして客と女性従業員が解放された現在男性従業員だけが残された
その中に英二もいる。


予想はしていたけど改めて知らされた事実に血の気が失せる思いがした。

訳もなくイライラする

大切な人が中にいるのに何も出来ないもどかしさ

僕は信心深い方じゃないけれどこんな時やはり神に縋ってみたくなる。


英二・・・

友達だの親友だのと口では言ってるけど言われない想いをまだ抱えている自分に改めて気付かされる。
英二が大切だ。
そして英二を愛している。

僕はこんなにも英二への想いで縛られていたんだ。










* * * * * * * * * *







軽快な電子音が鳴り美香さんが携帯電話を取り出した。

「あ、お母さん、ん〜まだ何の動きもないみたいなのよね。中に英二がいるってのは確実に分かってるだけど・・・・・・。あ、大丈夫よ不二君と一緒だから。えっヒサ兄も来るの?」
時計を見たら10時を過ぎていた。
さすがに女性が野次馬している場合じゃない。
立て篭もっている本店の方は途中でどこかのNPOが毛布と食料を運び込んで人質が全員無事だということは分かったけど英二が捕らわれていることには変わりはない。
「美香さん、もう遅いですから帰った方がいいんじゃないでしょうか?何なら僕が送りますが」
「私は大丈夫よ。それに一番上の兄がこっちに来るんだって」
「そうなんですか」
英二の一番上のお兄さんは結婚してあの家を出て行った。
そしてお兄さんが出て行ったあと僕が住んでいる。
このお兄さんが結婚しなかったら僕は英二と同居することにはならなかっただろう。
一番上のお兄さんのことは英二からよく聞いた
英二とは年が離れている所為かすごく英二の事を大切にしていて新聞記者という仕事柄、家に居る事の少ない父親の代わりに英二にずっと構っていた。
幼少の頃、父親に甘えたい盛りの英二が寂しい想いをせずに済んだのは一番上の兄のおかげだと英二が言っていた。


その時だった
本店の入り口の前から大きな音が聞こえた。

警察が強行突入したのだ。

大きな物音とともに大声で怒鳴りあう声が聞こえる。
誰のものだかわからない罵声
響くガラスの割れる音
大きなものが倒れる音

壮絶な光景だった。

僕の近くではどこかのTVのアナウンサーが興奮した声で「今警察が強行突入しました!」とカメラに向かって叫んでいる。


バァァーーーーーーーーンッ・・・・・・!






何の音だか分からなかった。
何ともいえない鈍い音
何の楽器だろうかとさえ思った。

「発砲だ!」
僕の近くに居た人が叫んだ。

鉛の鈍い音だった。
TVの刑事ドラマなんかで聞くような爽快なピストル音じゃない。
拳銃の種類にもよるのかもしれないけど発砲音ってこんな鈍い音がするのかと思った。


「たった今中から発砲音が聞こえました!どうやらどちらかが発砲した模様です。発砲による怪我人の情報が入り次第お伝えいたします!」
興奮しきったアナウンサーの声
そういや怪我人って・・・・・・
僕は我に返った。


バァァーーーーーーーーンッ・・・・・・!



二発目の銃声が聞こえた。




「英二ぃーーーーーーーーーっ!!!!」







英二が危険だ!

「ちょっと君!」
立ち入り禁止のテープをかい潜って本店に近づこうとした僕を近くに居た警察官が取り押さえようとした。
「英二が、英二が危ないっ!」
もう居ても立ってもいられない。
僕は立ちはだかる警官を押しのけた。
英二にもしものことがあったら・・・
英二の命に関わるような事があったら・・・
僕は・・・
僕は・・・

「やめて不二君っ!」
華奢な体に羽交い絞めされた。
「不二君にまで何かあったらどうするのっ!」
「僕は構わない、英二の方が大切です!」
僕は美香さんの腕を振り払おうとした。
「不二君が無茶して怪我しても英二は喜ばないわ!英二が心配するような真似はやめてっ!」

僕は振り払おうとした美香さんの腕を掴んだまま動きを止めた。

僕が体調を崩した時に「これ以上英二に心配をかけない」と自分自身に誓った。
その誓いを僕は自分で破ろうとしている。

「見ているだけで悔しい気持ちはよく解るわ。でも今は見守るしか私達にはできないのよ」
そう言う美香さんの手は震えていた。


「すみません、取り乱したりして・・・」
僕は美香さんの腕を静かに僕の体からはがした。
「英二の事すごく心配してくれてありがとう」

美香さんに気付かれたかもしれない。
僕の英二に対する言われない想いを。

「英二は親友で同居人であるけど僕にとってもう家族同然なんです」
「ありがとう、英二も喜ぶわ」
「悔しいけど一緒に見守りましょう」
僕は右手をそっと伸ばして美香さんの左手を握った。
「ありがとう不二君」

思わず手を握ってしまったのは美香さんが気丈なことを言いながらも手が震えていたからではない。
僕がこの英二と同じ血を持つ人に縋りたかったのかもしれない。
染色体が違うだけで英二と全く同じ顔のこの人の左手から伝わる体温は次第に僕の沸き立った気持ちを落ち着かせてくれた。









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