〜 ten years after 〜 10年後の日常
† いつでも微笑を †
めずらしく定時で帰ることができた。
家に入るとやっぱり英二はまだ帰っていなくてふとリビングのFAXを見たら何やら大量にFAXが送られていた。
送信元は英二の実家からで送り主は英二のすぐ上のお姉さんからだった。
英二宛のFAXなのだからこのまま英二に渡せばいいのだけどついA4普通紙で10枚近くもあることに目が行ってしまう。
悪いと思ったが内容が目に写る・・・そしてその内容に僕は愕然とした。
その内容は料理のレシピ。それも普通のレシピじゃないいわゆる病人用だったり病気対策のだったり健康維持用だったりで最後にお姉さんからのメッセージが添えられていた。
『不二君が海外生活が長くて食事のバランスが悪いとのことなのでとりあえず英二から言われたコレステロール対策や糖尿病予防対策や繊維を多く取れる料理ばかり送ります。これで何か解らないことあれば連絡下さい。』
お約束なことかもしれないけど僕はそれを見て手に持っていたFAX用紙をバサバサと床に落としてしまった。
英二のお姉さんは病院で栄養士として働いていると聞いたことがある。
僕がここのところ熱を出したり風呂場で倒れたりしたから英二が僕の為にバランスの取れた食事をしようと実家のお姉さんに料理レシピを頼んだのだ。
英二の優しさに胸の奥が熱くなる。
落としたFAX用紙を拾い上げる手が震えだす。
* * * * * * * * * *
「ただいまー、あれ?不二今日は早いじゃんどうしたの?具合悪い?」
英二の声で我に返った。
僕は着替えもせずスーツ姿でボーっと不抜けたみたいにソファに座っていたらしい。
半分意識の飛んでいった頭で英二を見上げればスーツ姿の英二は右手に僕が取り忘れていた夕刊を、そして左手にはスーパーの袋をぶら下げていた。
英二、生活感滲み過ぎだよ・・・
つーか完璧な兼業主夫の姿だよ・・・
「あ、大丈夫だよ。ごめん夕刊取るの忘れてた」
「今日のお昼に入った食堂のテレビで東京も梅雨入りしたって言ってたよ。今日は曇っているけど明日から本格的に雨が降るらしいから気温の変化についていける様にいなきゃね」
「梅雨入りか・・・嫌な時期になったね」
「梅干買ってきたから、不二は1日1個は絶対食べること!」
「え〜、僕酸っぱいのは苦手なんだけどな」
「お前乾汁飲めるのになんで酢が苦手なんだよ、とにかく薬だと思って食べること!」
「はいはい」
英二の優しさに心が温かくなってくる。
英二の優しさは作られたものや計算されたものではなく自然と内から出てくる優しさ。
そういや大学を出てひたすら仕事に突っ走っていて僕はこのような感情を忘れかけていたのかもしれない。何せ東証一部の大企業では安定した生活を送れるその代償にライバル達よりも一歩先、時には蹴落としてでものし上がらないと駄目な事や企業の為に書類の改ざんや小さなトラブルはできるだけもみ消しだのが平気で行われたりもする。
僕は海外で仕事をしたりそういうことに携わりたいことが目的で今の商社に入ったのだからさほど気にもしていなかったのだけどふと周囲を見回すと企業は戦場であり社員である僕らは戦士であることを思い知らされる。
なまじ業界トップの会社だけにビジネス雑誌や経済新聞にあれこれと誇大評価を書かれていることも少なくはない。
自分では気にしないつもりだったのにいつの間にか企業という名の戦地に立つ自分がいた。
そしていつのまにか人の温かさを忘れかけていた。
こんな冷えてしまった心を英二の優しさが自然のペースで溶かしてくれる。
僕は人の温かさの喜びをを改めて感じる。
「英二・・・」
英二はテーブルの上に置かれていたFAXの束を眺めていた。
「ありがとう、英二」
「何が?」
「それ」
僕は英二の手のFAXを指差す。すると英二は一瞬照れたような表情をした。
「俺、料理できるけど栄養だの何だのってまるで判らないから・・・やっぱプロに頼んだ」
「頼もしいお姉さんだね」
「やっぱ最終的に頼れるのって家族だろ」
「僕は英二のおかげで人間らしい生活が出来ているよ」
「不二・・・充分人間らしい生活してんじゃん。日曜日の朝は早起きしてスーパーの特売チラシをチェックして買出しに行くし、夜スーパーの惣菜コーナーで割引シール貼られるまでその辺りをうろうろして店員が惣菜パックにシール貼ったらすかさず買い物カゴにいれるし・・・それオバサンの生活だよ」
「あはははは。英二といるとどうも生活感溢れていてさあ・・・」
「何それ、まるで俺がオバサンみたいじゃん」
英二がつーんとした表情をして口を尖らせた。
その時だった。
英二のスーツの胸ポケットの携帯電話が勢いよく鳴り響いた。
「はい、菊丸です。どうしたの海堂?久しぶりじゃん」
英二が告げた懐かしい後輩の名前につい反応して英二を見つめる。
あの寡黙な後輩が電話してくるなんて珍しいことだ。
きっと青学の後輩の身に何かが起こったんだ。
僕は瞬時に察した。
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