〜 ten years after 〜 10年後の日常
† ハピネス †
桃城と橘杏の結婚式の二次会で一通りの形式どおりのイベントが終了してやっと会場内が堅苦しい雰囲気から解放された。
イベント後の会食は立食パーティー形式で参加者は各自思い思いに食事を楽しんでいる。
「越前、たんぱく質を摂っておいた方がいいぞ」
乾が前菜を選んでいるリョーマの横で静かに言った。
「こんなとこまで来てとやかく言わないで下さい」
リョーマは乾を見上げてむくれた顔で言った。
「・・・まるで保護者だな」
「手塚・・・」
二人が後ろを振り向くと手塚が立っていた。三人はそのままの流れで近くの空いているテーブルに移動した。
「久しぶりだな、調子はどうだ?」
「調子は万全だ、越前も無怪我無病気だし俺も先輩トレーナーに付いて着々とトレーナーとしての技術を磨いている」
「それはよかった」
「手塚こそ順調みたいだな」
「ああ、こちらも今のところ無怪我でやっている」
「いずれ対戦するのが楽しみだな、なあ越前。・・・越前?」
乾に話題を振られた当のリョーマはフォークにプチトマトを刺したまま顔だけ横を向けていた。
「どうしたんだ越前?」
乾はリョーマの視線を追う。そこには不二に撮影をしてもらおうとしている桃城と菊丸がリョーマに手招きをしていた。
「なんか俺、呼ばれているみたいっス」
「みたいだな」
「ちょっと行って来ます」
リョーマはプチトマトを口に放り込みそそくさと席を立った。
* * * * * * * * * *
「ごめんね、越前。せっかく手塚と話をしていたのに」
英二が申し訳なさそうに言った。
「いや、別にいいっス。桃先輩の祝い事なんだし。それより撮影するんでしょ」
越前が黙って英二の隣に立った。かつて英二が『おチビちゃん』と呼んで可愛がっていたこの後輩も随分と背が伸びて英二とほぼ同じくらいか少し抜かしたかくらいになっている。いつの頃からだっただろうか、英二が越前のことを『おチビ』ではなく『越前』と呼ぶようになったのは・・・。
「おーい越前、俺の隣に並んでどうすんだよ!桃の隣に行って桃を真ん中にするんだよ〜!」
「すみません、つい条件反射ってやつで・・・」
僕は3人の光景をみてプッと吹き出してしまった。
そうだこの3人はいつも英二が真ん中だった。撮影に乗り気じゃない越前を英二が無理矢理ひっぱってきて逃げないように肩をがっしりと組んでそんな英二の横に桃がはりついていつもVサインかガッツポーズをしていた。
学生時代のテニス部合宿で僕が撮影したこの3人の写真は桃、英二、そして英二に無理矢理ひっぱられた越前という構図が多い。
越前もきっと学生時代のことを思い出したのだろう。
「ふ〜じ!撮影OKだよ〜ん!」
英二が桃の肩を組んでこちらにVサインを送る。僕は一眼レフを構えてピントを合わせた。
カシャッ
カメラ独特の効果音が鳴る。
「久々に青学悪ガキトリオが揃ったね」
「何だよう!悪ガキって!」
「不二先輩ひどいっスよ」
「俺もメンバーに入ってるんスか?」
三者三様の反応をされてしまった。
「そういや桃先輩って新居はどこですか?」
「とりあえず武蔵野市でマンション借りた。永住はしないと思うけどな」
「な〜んだ23区じゃないんだ」
「なんだそのバカにしたような言い方は!隣は杉並区だぞ!」
「だって桃先輩って都心に憧れていたじゃん」
「通勤距離や家賃を考えると色々考えさせられることがあるんだよ。お前も所帯を持つようになったら解るって」
桃はそう言って越前の頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「俺、今いる会社の寮が三軒茶屋なんですよね。武蔵野までそんなに遠くないし子供が生まれたら見に行ってもいいスか?」
「おう、来いよ大歓迎だぜ」
何気ない先輩後輩の会話。けど僕には何か違和感を感じた。
越前が積極的過ぎるのだ。
今までは写真を撮るにも必ず英二が無理矢理ひっぱってきた。
なのに今日は英二が手招きしただけでやってきた。
というよりも越前の方が撮影をしようとしている僕らをじっと見ていたのだ。最初英二が「越前も呼んで来よう」と言ったのに対して僕は「今は乾と手塚と話をしているから後にした方が」と言ったのだ。テニスプレイヤーとして手塚と同じフィールドに立つようになった越前はおそらく今日が社会人になって初めて手塚に会うのだろう。いろいろと積もる話もあればこれからのの抱負もそれぞれあるに違いない。
なのに越前の方からやってきた。「今日は桃先輩のお祝いだから」と。
そして撮影が終わっても席に戻らずに桃と話をしている。
たしかに今日は桃の結婚祝いだし桃と越前は仲がよかったけどそれだけの理由だろうか?
その時視線を感じた。
追ってみると先程まで越前がいたテーブルにいる手塚がこちらを見ていた。いや、正確には僕らを見ているのではなくてその視線は越前ただ一人に向けられている。
僕は何となく確信した。
越前は手塚のことを避けている。
「ねえ越前」
「何スか?不二先輩」
「手塚とはもう対戦したの?」
途端越前の顔が曇った。
「・・・いいえ、まだです」
「でもそのうち当たるよね」
「俺、負けませんから・・・」
* * * * * * * * * *
「ふぅ・・・」
リョーマは店内のトイレの洗面台で鏡を見てひとり溜息をついた。
めずらしく動揺してしまった。
蛇口をひねって水を出し、手にすくって顔を洗う。
冷たい水が染み込んで顔に昇った体温を鎮めてゆく。
濡れたままの顔で正面の鏡を見ればあからさまに落ち着いてはいない違う自分が映っている。
不二の何気ない「手塚」の言葉に無意識に心が過剰反応してしまった。咄嗟に平静を装ったのでおそらく顔には出ていないだろうが相手は不二周助だ、見抜かれているかもしれない。
リョーマはポケットからハンカチを取り出して濡れた顔を拭いていると背後のドアから誰かが入ってきた。
「具合でも悪いのか?」
ハンカチで顔を拭いていた手が止まる。
その声は紛れも無く手塚の声だった。
心臓が高鳴る。
けど覚られてはいけない。
リョーマはハンカチを畳むと
「大丈夫です。何とも無いです」
と言って手塚の横を通り過ぎて店内に戻ろうとした。
「!!!」
その腕を手塚に掴まれた。
「手塚さん、何を・・・」
「その・・・俺の思い過ごしかもしれないんだが、越前は俺のことを避けていないか?今日ここに来てからずっとそう感じた。俺が何か気に触ることをしたのなら詫びる」
「・・・手塚さん」
リョーマは下を向いた。手塚も手塚であれこれ考えてしまっていたのだ。
「別に手塚さんは何も気に触るようなことをしてません。ただ俺は『2年前の約束』を守っているだけなんです」
「2年前の約束?」
手塚が首を傾げる。
途端リョーマの顔が火照った。恥ずかしさと、そして怒り。
あんな思いをして伝えたこの気持ちを手塚はいとも簡単に忘れてしまったのか。
「・・・離してください」
「あ、すまん」
慌てて手塚は掴んでいたリョーマの腕を離した。
店内に戻ろうとしたリョーマの視界がぼやけた。所詮この想いは自分の一方的な思いであって手塚にはどうでもよいことだったのだ。いや、抱かれた時に自分は手塚にこう言った『たとえアンタが俺のこと好きじゃなくてもいい。ただ俺は手塚先輩に抱かれたいんです。一度だけでいい』と。自分で解っているものの現実を目の当たりにするとその現実を受け入れるにはあまりにも自分の器は小さいものだと思い知らされてとても受けきれるものではない。
「越前、本当に大丈夫なのか?」
手塚の呼びかけもどこか遠くで聞こえる。手塚への想いは一方通行だと解っていたのに、また真面目な手塚に同性を受け入れることはありえないと解っていたのに、そしてこんな渦巻いた黒い想いにまるで中高生の女子みたく涙するなんて。リョーマは自分自身が情けなく思った。
「本当に大丈夫か?乾を呼んで来ようか?」
手塚はリョーマの両肩に手を置いて覗き込むように言った。
「・・・離してください。・・・2年前にも言った筈です。次に会う時はコートでネットを挟んだ時だって、プライベートでは会わないと」
しかし手塚は肩に置いた手を離そうとしない。
「ひょっとしてあの約束を気にしていたのか?」
「忘れたのですか?」
「忘れてはいない。俺はあの約束を胸に日々トレーニングに励んでいる。いつの日か越前と対戦しても無様な姿を見せない為に」
「でもさっき忘れた感じだったし・・・」
「今日はお互い桃城の結婚式の二次会に呼ばれただけであって桃城の結婚祝いに駆けつけたのが目的だろう。俺はプライベートで越前と会う目的でここに来たわけじゃない。二次会に来たら越前も来ていた。ただそれだけだ。だから別にあの時の約束を破っているとは思っていない」
リョーマはハッとして手塚を見上げた。今まで頭にのし掛かっていた圧迫感がだんだんと解けていく。手塚の理論は無理矢理だが正しい。今日は桃城の結婚祝いなのだ。
「次に会う時はコート上」という2年前の約束に縛られてがんじがらめにしていたのは自分自身。
「手塚さん・・・」
「夏に横浜で行われる菓子メーカー主催のフューチャーズの大会に先日エントリーしてきた。まだ締め切りまで日がある」
「俺もエントリーします」
「そうか、今度こそコートで待ってるぞ」
いよいよ手塚と直接対決できる。
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