| 〜 ten years after 〜 10年後の日常
 
 † 慟哭 †
 
 
 
 
 「不二、ちょっとタンマ!」「タンマはなしっ!」
 「ひでー!蚊にかまれて痒いんだよ!」
 「仕方ないなあ・・・」
 左腕をぽりぽりとかきながらベンチに置いている鞄から虫さされの軟膏を取り出す英二を横目に僕もペットボトルのスポーツドリンクを煽った。
 
 桃の結婚式の二次会から一週間後の土曜日の夕方僕たちはテニスをしに行った。
 日頃は休みがなかなか合わなかったりですれ違いな休日だけどここのところ僕の仕事は日本で済ませられるものばかりなのでおかげで土日祝日休みの普通のリーマン生活だ。
 梅雨が明けたばっかりの空は快晴で運のいいことに今日は湿度も高くなく爽やかな風が吹いていてそこそこに過ごし易かったがさすがに1時間近く軽く打ち合っただけで二人とも結構汗だくになった。
 
 「あれ?菊丸さん?」
 隣のコートにいた女性2名が声を掛けてきた。
 「明石さんに大久保さん、どうしたの」
 「んーやっぱ1ヶ月に1回の会社のテニス会だと物足りなくて。周りに会社の偉いさんとかいたらやりにくいことだってあるし。菊丸さんだってそうじゃないの?なんかいつもよりめちゃくちゃ上手だったわよ」
 「さっきから隣のコートにめちゃくちゃ上級者がいるなあって思ってたのよ。まさか菊丸さんだなんて思わなかったわ」
 「今日は連れが学生時代のテニス部仲間だからついムキになってたんだ。あ、こいつが学生時代のテニス部仲間の不二っていうんだ。不二、こちらは同じ会社の明石さんと大久保さん。1ヶ月に1回やっている会社のテニス同好会で一緒なんだ。明石さんは俺と同じ支店だけど大久保さんはK町支店勤務なんだ」
 英二に紹介されて僕は英二の会社の人達に軽く会釈をした。
 彼女達の話からするとどうやら英二は会社のテニス会では本気を出していないみたいだ。そういや以前色々な支店の人が集まる親睦会みたいなもので上役相手に菊丸ビームなんかできないって言っていたな。英二にとって相当ストレスが溜まるテニスみたいだな。
 「不二さんもとてもお上手ですね。まるでプロの試合を見ているような錯覚がしましたわ」
 「中学から大学までずっとテニス漬けの学生生活でしたから。でも本当のプロはこんなもんじゃありませんよ」
 僕達で凄いなんて言ってたら手塚のプレイを目の前で見たら卒倒するよ。
 「私達今サーブの練習していたんですけどどうも上手くいかなくって・・・よかったらどこが悪いのか指摘してくれませんか?」
 「いいよ。見ててあげるから一度打ってみて」
 
 
 「打点が低いかな、ほら腕を伸ばしてみて、この位置でボールを打つといいよ。それにはまず最初にボールをもっと高く上げなくちゃ・・・」
 事の成り行き上僕らは彼女達のコーチをすることになった。
 英二は明石さんを、そして僕は大久保さんを。
 大久保さんは中学生の時に軟式をやっていたとかで少々アドバイスをしたら直ぐに飲み込めてフォームの軟式の癖が徐々に矯正されていった。
 英二の方はといえば明石さんがテニス初心者でいつの間にやら「よいこのテニス教室」になっていた。
 「え〜、菊丸さんの様にそんな上手く出来ないってば」
 「基本どうりにやれば必ず出来るから」
 明石さんのボールはしょっちゅう隣のコートまで大ホームランをして隣のコートの初老の人の良さそうな男性がその度に返してくれた。
 その初老の男性が時々英二と明石さんを微笑ましく見ていたのでひょっとしたら二人のことをカップルだと思ったに違いない。
 確かに男女2名ずつだから傍目から見たらカップル同士に見えるのかもしれない。
 でも僕にそう感じさせたのは明石さんの英二を見る目が他を見る目と違っていたから。
 大久保さんは純粋にテニスを楽しんでいるという感じだったので僕も普通にテニスを教えているという感覚で何ら違和感なくプレーをすることができた。
 しかし明石さんの態度はまるで英二を誘っているかのようだった。
 
 その後なんとなくその場の雰囲気の流れでクラブハウスに併設されてあるレストランで4人で食事をした。その時も明石さんが始終英二にべったりしていた。
 
 僕はここ数ヶ月英二に対して感じていた違和感を改めて感じた。
 そしてその違和感が英二にとって悪い事であることを察した。
 早くなんとかしなければ大変なことになるかもしれない。
 これは少々手荒な手段に出なければいけないな・・・
 
 
 
 
 
 * * * * * * * * * *
 
 
 
 
 「ねえ英二、ちょっといい」
 僕は風呂から上がって後は寝るだけのまったりとしている時間に英二の自室を訪ねた。
 「いいけど何?」
 部屋に一歩踏み入れるとエアコンの効いた空調が心地よい。
 僕はベッドに寝転がって雑誌を見ている英二の横に腰を掛けた。
 「今日会った女の人なんだけど・・・」
 「ああ、明石さんと大久保さん」
 「英二と明石さんってお似合いだったね」
 「何言ってんのお前?」
 英二の声が裏返っている。おまけにめくっていた雑誌も手がすべって頁が閉じられてしまった。
 「クスッ動揺してるよ、英二」
 「してないって!明石さんとは職場仲間だよ。ただそれだけ」
 「そうかな?いい感じだったけど」
 「てか、お前明石さんに気があるの?そんで俺をおちょくってるんじゃないの?」
 「でも明石さんは英二に気があるよ」
 「そんなことない!」
 「そんなことないって断言できるの?」
 「・・・・・・・・・」
 英二は言葉に詰まって寝返りをうって僕に背を向ける。
 「今の不二っておかしいよ・・・」
 「どうして?」
 「不二ってよく俺のことおちょくったりするけどあくまでも冗談の範囲で笑って済ませられてた。けど今のは笑えないジョークだよ」
 英二は僕に背を向けたままぼそっと言った。
 「なら単刀直入に言うけど最近の英二はおかしい。同居した時から感じていたんだ。いつもの英二の明るさが無い、影を見せる時がある」
 英二は黙っている。僕は続けた。
 「時々ふっと見せる曇った表情が僕は気になって仕方がなかったんだ。で、先日の二次会で橘妹の知人の女性から声をかけられてもかわしていたし今日の明石さんだって職場の人だから合わせていたんでしょ。大学時代にあれだけ合コンをやっていた英二を知っている僕にとって今の英二はまるで別人。あんな風に女性を避けることはしなかったよ」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「女性を嫌悪してしまうような何かがあったの?」
 「・・・・・・・・・・・・」
 英二は相変らず黙っている。
 「ごめんね英二、詮索するつもりはないんだけど英二がつらい顔をしているのを見るのは僕も辛い。かと言って僕が何かできるというわけじゃないけれど話す事で英二が楽になれるのなら僕はいくらでも英二の話を聞くから」
 そう言って僕も英二の横に寝転がった。ベッドが二人分の重さに耐えかねてギシッと音を立てる。
 僕も英二に背中を向けているので僅かに当たる背中同士から英二の体温が伝わってくる。
 それでも英二は相変らず黙ったまま。
 「僕は無理して明るく振舞っている英二を見るのが辛いんだ」
 
 
 
 
 
 
 「・・・・・・いたんだ」
 しばらくして英二のか細い声が聞こえた。
 「え?」
 「・・・好きな人がいたんだ。本当に好きでまさに“愛してしまいました”っていうの。去年合コンで知り合って意気投合して付き合うようになったんだ」
 「そうなんだ」
 「だけど俺と同い年だって言っていたその人は本当は俺より4つ年上で仙台に婚約者がいたんだ。遠距離恋愛だから俺も全く男の影に気付かなかった」
 「つまり二股かけられていたんだ」
 「俺、その人のこと本当に好きだったんだ。今までにあんなに人を好きになったことなんてなかった。本気でこの人を一生守りたいって思った・・・のに・・・・・・うっ・・・」
 最後は嗚咽交じりだった。僕は振り返ってそっと英二を背後から抱きしめた。
 「辛かったんだね。思い切って泣いちゃいなよ。辛いことは全部涙で流そうよ。今まで泣ける場所がなかったんだろ。ここに帰るとお兄さんがいるから英二のことだからお兄さんに気をつかって何も無かったように振舞って無理してたんじゃないの。もう無理はしなくていいよ。今は僕しかいないから。僕は英二の辛い思いを全部受けてみせるから泣いてすっきりしようよ」
 「・・・不二」
 英二が顔をシーツに埋めて声を押し殺して泣いている。
 こんな英二は見ているだけで辛い。けど膿を出さないと怪我は治らない。英二の場合心の問題だから完治するかは分からないけれど今の僕にできることはこれだけだ。
 「英二・・・」
 僕はシーツを掴んでいる英二を無理矢理はがして体の向きを無理矢理僕の方へ向けた。そして僕の腕の中にすっぽりと英二の頭を納めて背中を軽くぽんぽんと叩いた。
 「今は泣いちゃえ、でも人は傷ついて涙した分だけ強くなれるんだ」
 「ありがとう・・・不二」
 英二が僕の胸に顔を埋めて声を出して泣き始めた。そしてその腕は僕の背中にしっかりとまわされていて僕を締め付ける。
 その英二の腕による締め付けで少々苦しいと思ったけど英二の味わった苦しさから思えば蚊に刺されたようなものだ。
 きっと英二は今まで誰に縋ることも出来ずに無理して生活していたのだろう。僕の体を締め付けるこの力の強さで思い知らされる。
 僕も英二の背中に腕をまわしてぎゅっと抱きしめた。
 お互いパジャマ姿なので薄い布越しに英二の体温が上昇しているのが分かる。
 それは英二が今まで溜め込んだ苦しみの温度。
 泣きたい時に泣く場所がなくいつも無理して笑っていた英二。
 僕が英二と再会した時に真っ先に感じたのは英二の心の闇。
 英二は未だに純粋な心を持ってるから相当ショックだったのだろう。
 それで言い寄ってくる女性を避けていたんだ。また騙されるのじゃないかという恐れ故に。
 英二の心の深い傷はそう簡単には癒えないだろう。
 けど僕は傷ついた英二をいつまでも見守るから。
 「英二、そのオンナのことを忘れるのは難しいことだと思う。けどいつまでもそのオンナを思うことでそんなオンナに縛られないで。僕の知っている英二はいつも明るく笑っていて自由奔放で誰とでも仲良くしていて僕はそんな英二がいつも羨ましかったんだ。そんな英二と友達でいられるのが嬉しかったんだ」
 僕は英二のくせのかかった毛をそっと撫でた。するとふわっとシャンプーの香りが立ち上がる。僕はその香りを腕に閉じ込めたまま静かに目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 * * * * * * * * * *
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 爽やかな朝だった。
 いや、外は梅雨明け独特の高温多湿で不快指数上昇まっしぐらな天気だけど俺は久しぶりに穏やかですがすがしい気分で目が覚めた。
 まるで何だか憑き物が取れたかのように体が軽い。
 
 「!!!!!!!!!」
 
 俺は衝撃のあまり心臓が口から飛び出そうになった。
 目が覚めると目の前に不二の顔があった。
 しかも不二の腕は俺の背中にまわされているし、俺の手は不二のパジャマを掴んでいた。
 つまり不二に抱きしめられて寝ていた状態。
 不二はまだ寝ている。
 俺は何故このような状態なのかを考えてみる。
 そして昨夜の出来事を思い出してしまった。
 
 
 
 
 彼女のことはいつか時間が経てば忘れられるだろうと思っていた。
 けど半年以上も前に別れたのに忘れることは出来なかった。
 新しい彼女を見つけて忘れようと合コンに行ってもどうしても女を見ると「実年齢誤魔化しているのでは?」とか「男がいるのじゃないだろうか」とつい疑ってしまう。
 傷つくのを恐れるのは単なる甘えだと解っているけれどもいざとなるとどうも1歩が進めない。
 結局言い寄ってくる女を拒否することで自分を守るしかなかった。
 
 不二はそんな俺のことを見抜いていた。
 
 かつてこの家で兄貴に心配かけたくなくて無理して普段どおりに振舞っていたのを不二にも実行していたけど不二の『無理している英二を見るのは辛い』と言われて自然と涙が出た。悲しくて涙が出たんじゃない。不二の気持ちが嬉しかったんだ。ここ半年くらいとげとげした気分だったから人の温かさが身に染みた。そして『悲しいときは思い切って泣いちゃいなよ』って言われて今まで押し殺していた悲しさが一気に爆発して俺は不二にしがみついて大泣きしてしまったんだ。
 
 
 頭の中が整理出来たら年甲斐もなく大泣きしてしまったことが今度は一気に恥ずかしくなった。
 俺は不二を起こさないようにそっと不二の腕から抜け出そうとした。
 「ん・・・英二?・・・起きた?」
 しまった!不二を起こしてしまった。
 「あ、え〜と・・・不二・・・」
 「何〜、逃げないでよ」
 俺は不二に腕を掴まれて再び不二の腕の中にすっぽりと納まってしまった。
 「ちょっ!ちょっと不二っ!!」
 不二に力いっぱい抱きしめられて俺は不二の腕の中でもがいた。
 不二の奴一体何考えているんだよっ!
 「あー、英二ってあったかい・・・」
 不二は腕だけでなく足まで絡ませてきた。その触れた足先がやけに冷たい。
 見るとエアコンの送風口が丁度不二に直接当たる角度になってた。
 「不二!エアコン付けっ放しだった!ゴメン!!!」
 俺は不二の腕を無理矢理ほどいてエアコンのスイッチを切った。
 泣きついた上に風邪までひかせてしまったら大変だ。
 俺はまだ眠そうに横になっている不二に毛布をかけた。
 気になって額に手を当ててみたが熱はなさそうだ。
 「英二〜、もうちょっと寝させて」
 俺のベッドを本格的に占領して再び眠り始めた不二の寝顔を黙って見つめる。
 夜中じゅうずっと俺の傍にいて俺を支えてくれた不二。
 心の奥に閉じ込めたもの全てを吐き出させてくれた不二。
 そしてこんな俺と友達でよかったと言ってくれた不二。
 
 俺も不二と友達でよかった。
 
 不二が起きたらちゃんと言葉に出してお礼を言おう。
 
 
 
 
 
 
 
 
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