〜 ten years after 〜 10年後の日常

† 群情 3 †




俺のベッドで憔悴しきった顔で眠る幼馴染みを見て改めて複雑な気持ちになった。
怒った不二。
怒鳴った不二。
酔った不二。
そして落胆した不二。
こんな不二ははじめて見た。



眉間に皺を寄せてむっつりした顔の不二を病院から連れて帰る際にこんな状態の不二を菊丸の居る自宅に帰すのはなんとなくまずいような気がして俺のマンションに連れて帰った。不二は考え事をしているのか俺のマンションに連れてきても文句ひとつ言わずに黙って俺に付いて来た。
ソファに座らせても相変らずむっつり顔で何も言わない不二にホットワインを飲ませてみた。

「美味いワインだね。ドイツワイン?」
マグカップ一杯を飲み干してようやく不二が口を開いた。
「ああ、ホットワイン専用のドイツの赤ワインだ。暖める事によって甘みが出て口当たりがいいだろ」
「ああ、おかわり貰える?」
「いいぜ」

そして数杯飲むといくら温めてアルコール分が少し気化したとはいえまだ残るアルコール分と温かいものを飲んだ所為で青白い顔の不二の頬に赤みがさしてきた。

「男にはもう懲りただろ?」
「ああ、だからと言って女に走る気もないけどね」
「いっそ菊丸に告ってしまえばどうだ?」
「英二はノーマルだ。英二に気持ち悪がられて去られるより自分の気持ちを抑えて友人として接している方がまだいいよ」

不二は何でまた菊丸のような普通の男に本気になったのだろう?
菊丸は残酷な存在だと思う。
俺だって中学の時に初めて対戦してあの顔、仕草に目を奪われてしまった。あいつは無意識だが男色の目から見てかなりそそられるオーラを放っている。
しかし大概の普通の男のように男色を嫌がる菊丸は手折ってはいけない存在だと思う。
そう、一般人が人気俳優や歌手に憧れるのと同じで俺たちとは住む世界が違うのだ。

「ホットワインじゃなくて普通のワイン飲むか?」
「南フランス産のスウィーティーなのが飲みたいな、あるの?」
「ああ、来月だったらボジョレーが解禁なのにな」
「来月また来るよ」
「ってお前自分で買えよ!俺にたかる気か!?」
「だって君の店遠いんだもん」
「俺、実家の姉さんの分も送らなくっちゃいけないんだぜ」

何気ない会話をしながら俺は冷蔵庫の中のものを適当に取り出してオードブルとは言えないけどフランスワインにあうつまみを用意する。
時折不二の様子をちらちらと見たが不二はTVを見るでもなく新聞を見るでもなくどこを見ているのかわからない遠い目でじっとしていた。
グラスにワインを注いで不二に手渡すと不二はそれを一気に飲み干した。

「おい、ビールじゃないんだから味わって飲めよ」
「じゃあおかわり」
俺は苦笑いしながら閉めたばかりのコルクを再び抜いて不二が差し出したグラスにワインを注いだ。
こんな飲み方をする不二は初めてだ。
黙っているけど潮也君のことが相当参っているのだろう。





病室に入った途端潮也君は不二に縋りついて泣き出した。
でも不二は縋りつく潮也君を無理矢理はがしてベッドに叩きつけて怒鳴った。

「世の中生きたくても生きられない人がいるのに何て馬鹿なことするんだ!」

潮也君はベッドに沈んだまま目を見開いて不二を見上げたまま全身を硬直させていた。
病室の椅子に座っていた朝霧も同じ反応だった。
俺も同じだった。
あの時病室に居たすべての人の動きが止まった。
時間で言えば数秒のことなのに俺にはまるで何時間ものように感じた。

不二が怒った。
不二が怒鳴った。
不二が人を叩きつけた。

不二が千葉に住んでいた時に裕太君をいじめた奴に不二が立ち向かって行ったのを見たことがあるけどこんな怒り方じゃなかった。

そう、今の不二は

まるで『夜叉』

京都か奈良に観光に行った時にどこかの寺か美術館で夜叉の仏像を見たのを思い出した。
人に害する悪鬼。
確かに馬鹿なことだけどベッドに沈んでいる若者は不二の事で悩んでこのような行動に出た。
それを当の本人の不二は余計に突き放し、まるで止めを刺している。




不二が俺の横を通って俺は覚醒した。
「おい、不二ちょっと待てよ!」
俺は病室を出た不二を追いかけた。
不二は俺を無視してどんどん歩いていく。
エレベーターホールでようやく追いつき帰りも送ってやると申し出たらひとことだけ「すまないね」と言った。
助手席で始終眉間に皺を寄せてむっつりした顔の不二をこんな状態で菊丸の居る自宅に帰すのはなんとなくまずいような気がした。
俺は進路変更をして不二のマンションではなく俺のマンションへ向かった。








「おい不二、目の下にくまができてるぞ」
「そう?」
普通に飲んでいるけど不二の顔はあからさまに疲れが浮き上がっていた。なんだか目も腫れている感じがして眠たそうだ。
「眠いんじゃないのか?今日はここに泊まっていけよ」
「・・・・・・確かに疲れたよ。佐伯、君にも迷惑かけたね」
「俺は別に迷惑だなんて思ってないさ。それよりも不二、お前の方こそ大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
「・・・・・・・・・お前、わざと悪者になっただろう?」
俺は思い切ってずっと気になっていたことを訊ねてみた。今なら不二から本音が聞けるかもしれない。
俺の知っている不二は決して怒鳴って縋りつく人を突き放すような奴じゃない。
病室での不二はおそらく演技だろう。
不二に本気になってしまった潮也君にあんな態度をとることで潮也君に今まで抱いていた不二のイメージを幻滅させる。そうでもしなければ潮也君はこの先ずっと不二への気持ちでがんじがらめになってしまうだろう。
不二がとった行動はかなり荒治療だけど潮也君を解放させる為のものだったんだろう。
俺はそう考えた。
「違うよ」
「え?」
「本当にムカついたんだよ」
そう言った不二の目は・・・…座っていた。
俺の背中に冷や汗が伝い落ちる。
テニスの試合の時でもこんなことはなかった。
酔ってる・・・の、か?不二。
「・・・自ら命を絶とうなんてふざけてるよ」
「確かに、そうだな」
「命を軽く考えているよ。世の中には生きたいと思っても生きる事が出来ない人だっているのに」
「ああ」
「でも正直言うと今になってやり過ぎたかなって思うんだ。僕が悪者になるのは構わないけど潮也君が僕を憎む事で僕に縛られる事になるんじゃないかって・・・」
「不二がどんな態度をとっても潮也君は不二に縛られるよ。不二が同情して手を差し伸べたとしたら縋ってくるしそうしたら逆にもうこの先潮也君は不二なしでは生きていられなくなる。それならまだ付き放つ方が潮也君にとってはかなりキツイけど潮也君の為だと思う。後は潮也君が立ち直るのを待つしかないな。後で朝霧に潮也君のフォローを頼むよ。恋愛がボロボロになって残るのは友情しかないからな」
「佐伯、君は優しいんだね」
「愛人は何人もいたら色々やっかいだけど友人は何人いてもやっかいじゃないし咎められないもんな。ある意味愛情より友情の方が重いと俺は思うよ」
「君はたまにはいいこと言うね」
「たまにはって!そんなことないだろ」
「・・・今だから言えるけど実は僕も以前生きる事を諦めかけた事があるんだ」
「不二・・・」
生きる事を諦めた?不二が?
「あれは事故だったんだけどね。風呂場でのぼせて意識が途切れそうになって溺死するとこだったんだよ。でも僕が洗面器を大きな音をたてて落としたもんだから異変に気付いた英二が助けてくれた。でもあの時僕は英二への告げることの出来ない想いでへこんでいる時だったから倒れたまま立ち上がる気力もなくて意識が遠のいていく中でもうこの世に思い残す事はないって諦めたんだ」
「・・・・・・思い残す事はないって、菊丸への想いは残ってるじゃないか」
「実はさ、その日爆睡している英二がなかなか目を覚まさないことをいいことに英二にキスをしたんだ。だからそれでもう十分だった。もう二度とあんなことはしないよ。英二は僕の大切な友達なんだから・・・・・・普通友達にキスしたりしないだろ」
まるで苦虫を噛み潰したような表情で薄ら笑いしながらそう言った不二の顔を俺は正視できなかった。あまりにも辛すぎる。
なんでもすんなりとこなせる“天才不二周助”の姿はそこにはなかった。俺の前にいるのはどこにでもいる酔っ払ってうだうだ言っている恋に悩む男だ。
「不二、お前今日はもう寝た方がいいよ。菊丸には俺から連絡入れといてやるからさ」
「ん、なんか急にもの凄く眠くなった。悪いけど眠らせて。英二への連絡頼んだよ、けど余計な事言ったり口説いたりしたら承知しないから・・・・・・」
そう言って不二は俺のベッドに横になると直ぐに寝息を立て始めた。

ワインに仕込んだ睡眠薬が効いたらしい。
人は疲れたときや落ち込んだ時は逆にあれこれ考えない方がいい。かえって悪い事ばかり考えてしまってドツボに嵌って抜けられなくなってしまう。
こんな時は寝てしまうに限る。
フランスから帰国して間もない頃時差ぼけで夜になかなか寝付けなかった時に医者から貰った睡眠薬がまだ残っていたのが幸いした。
不二も明日目覚めたら少しは回復しているだろう。

俺は菊丸に電話をした。
しかし自宅も携帯も繋がらなかった。職場の飲み会だと不二が言っていたから飲み屋で電話が聞こえなかったのだろう。
仕方がないので俺は菊丸の携帯にメールを送った。







* * * * * * * * * *





勤め先のテニスの同好会の後でそのまま飲み会になだれ込んだ。
座敷を一部屋借り切って皆で適当に座って飲んでいたら俺の隣にすっとやって来た人がいた。
「S支店の菊丸君だね?」
「はい、そうですけど」
突然俺の横に座ってきた人はなんとT支店の支店長だった。
「君のテニスの動き、なかなかいいね。学生時代にテニスしてたの?」
「はい、テニス部でした」
「私も学生時代にテニスをやっていてね。そこそこ強い学校だったから自分には自信があった。しかし50歳にもなるとさすがに年齢には勝てなくなったな」
「そうなんですか・・・・・・」
歳の事を言われるとなんて答えたらいいかわからないので当たり障りのないように返事をしてみる。
「手抜きしちゃあいけないよ、菊丸英二君」
「ほえっ?」
唐突なこととフルネームで呼ばれたことで動転して声が裏返ってしまう。
「いつもこの同好会ではかなり手を抜いているだろう?」
T支店の支店長は俺が周囲に合わせて手加減しているのを見抜いていた。そりゃそうだ、皆で楽しくやっているのに1人だけ本気出して出来るかよ!
「初心者もかなりいて会社の人間ばかりだから合わせてくれている君の気持ちは分かるのだけどね、私は一度君の本気のサーブを受けてみたい」
何だ分かってるならそんなこと言うなよ。でも本気のサーブを受けたいなんて・・・相手は支店長クラスなんだぞ。
「い、いや俺も現役離れてすっかりなまっているものですから・・・・・・」
俺はなんとか誤魔化そうにもうまく回避する言葉が出なくて口篭る。
「私の息子がね、今年青学中等部に入学したんだ」
「へえ、そうですか」
「先日文化祭があったので行って来たのだがテニスの名門校だけあって廊下にかつての優勝トロフィーや選手の写真が飾られるのを見たよ。手塚国光プロの中学生時代の写真を見たよ。中学の時からから飛び抜けた選手だったんだね」
「は、はあ・・・」
「その手塚プロと一緒に写っている君の写真も見させてもらったよ」
「手塚国光って最近名が出てきているテニスの選手のあの手塚国光???」
「ええっ!菊丸さんってあの手塚国光と一緒にテニスしてたんですか!?」
「菊丸さん青学だったの?」
途端周囲に居た人達が一斉に俺の方を振り返った。
手塚、なんで名が売れたんだよ・・・・・・
「え、ええまあ手塚とは同級生ですけど・・・あいつ昔から飛び抜けていて同じ部にいたけど俺なんか足元にも及ばないですよ」
俺はとりあえず当たり障りのないことを言ってみる。手塚の笑った顔を見たことないとか合宿の風呂場で眼鏡を外していたので足元が見えていなくてつまづいたとか無口なくせにカラオケを歌わせてみるとめちゃくちゃ上手いとかはこの場では言わない方がいいだろう。
「やっぱり昔から飛び抜けていたんですね」
「そりゃプロになるような選手だもんな」
「でも菊丸君、君だってダブルスでは無敵だったのだろ?」
「えっ!?」
「青学の黄金ペアと呼ばれて全国大会どころか関東Jr選抜にも選ばれてアメリカ西海岸選抜チームと対戦したことだってあるんだろ?」
「うっそー!菊丸さんってそんな凄い選手だったんだ!」
「今度弾丸サーブ打ってみてよ!見たい見たい!」
黙っていても俺の周囲は勝手に盛り上がっていって俺はいつのまにか今度の同好会でT支店長と本気で試合をすることになってしまった。
でもT支店長は悪い人じゃなさそうなんで一切手を抜かずに本気でぶつかろうと思う。
それがT支店長に対する礼儀だろう。




飲み会がお開きになって何気に携帯電話を見たら不在着信になっていた。かけて来た奴は佐伯だった。同時に佐伯からのメールも入っている。
『不二は今日俺のとこに泊まるから。飲んでいるうちに寝てしまった』
不二は佐伯のところで飲んでいたのか。そういや佐伯ってワイン専門店で働いていたよな。
でも酒に強くって“底なし”の不二が酔いつぶれたり寝てしまったりするだろうか?
俺は佐伯に返信をした。







* * * * * * * * * *





『不二が酒に負けるわけないだろ?何かあったのか?』

俺は菊丸からの返信メールを見て溜息をついた。
何だかんだ言っていても菊丸は不二の事をちゃんと理解してるじゃん。
俺は眠っている不二を横目で見た。
不二の事だから起きるかもしれない。
俺は吸っていた煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。
「不二、ちょっくら煙草を買いに行ってくるわ」
俺は返事の来ない相手に向かってそう言って家を出た。
そして家を出て人通りの少ないところで携帯を取り出して菊丸に電話をした。





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