〜 ten years after 〜 10年後の日常
† distance 3 †
「君はどこから入ってきたんだ?」
「どこって・・・・・・入り口ですけど」
「ここの関係者か?」
「え、・・・いや、違います」
リョーマは自分に問いただしてくる男を見た。あからさまに不審者を見ている表情。
それは仕方がなかった。
気が付けばリョーマはここに来ていた。
手塚の所属する企業のテニスコート。夜で手塚がいるとは限らないのに気が付けばここに来ていた。
乾に言われた事が衝撃的で自分ではとても抱えきれなかった。かといって手塚に迷惑をかけることも出来ない。
なのに気が付けばここに来ていた。
そして手塚はそこに居た。
遠くから手塚の姿を眺めるだけでいいと思っていたのに夜間照明に照らされる手塚の練習風景を見たら無意識のうちにコート横まで来ていた。
手塚の所属する企業のテニスコートは屋根付きコートで屋外と屋内の両方の良い面を備えている。外からコートを覗くと白い屋根に照明が反射されてコート内が明るく隅々まで見渡す事ができた。
中にいたのは手塚を囲む人々とカメラマン。きっと雑誌か何かの取材だろう。記者らしき人物の中にはリョーマの知っている顔もいた。
リョーマはテニスコートの屋根に大きく書かれた企業名を見て溜息をついた。
大学在籍時に真っ先にリョーマをスカウトに来た企業。
もし、あの時リョーマがOKしていたら自分は今頃どうしていただろう。
手塚と共に励ましあいそしてライバルとして上を目指していただろう。しかし今のように二人が結ばれるとは限らない。寧ろリョーマが他の企業へ行ったからこそ結ばれたのではないだろうか。
「どうであれ、俺の目標は手塚さんを倒して上を目指す事なんだ」
リョーマは自分に言い聞かせるように呟いた。
そしてしばらくコート内にいる手塚を眺めていると不意に後ろから見知らぬ男に声を掛けられたのだった。 「君はどこから入ってきたんだ?」
リョーマがしどろもどろしているうちに更に数名の男たちがやってきた。
「おい、どうしたんだ?」
「いや、勝手に入ってきた人がいるもので・・・」
「取材ならフロントで受付を済ませてからにして下さい」
「記者じゃないだろ・・・あんたひょっとして、越前リョーマ!?」
「本当だ!越前リョーマが何でここに!」
「手塚君と対戦直前に入院した筈だが・・・」
「いや、もう退院したと聞いたぞ」
まずいことになったとリョーマは後悔した。「手塚に迷惑かけるな」という乾の言葉が頭の中で鳴り響く。テニス業界の中では手塚も自分もそこそこ名が出てきている。迂闊なことはできない。
「あなた方は私の客人に何をなさっているのですか?」
リョーマの背後から凛とした女性の声が聞こえた。
振り返るとそこにはリョーマと年も殆ど変わらない、だがとても落ち着いて、とても大人びた品の良い女性が立っていた。
「詩織さん・・・」
「越前さんは私がお呼びした客人です」
「そうでしたか、知らなかった事とはいえ申し訳ありませんでした」
先程までリョーマを不審者扱いしていた男たちが一斉に謝りリョーマは訳が判らずきょとんとして女性を見つめた。
「越前さん、私の出迎えが遅れてしまい弊社の者がとんだ無礼をしてしまい申し訳ありませんでした。さあこちらへ参りましょう」
女性はそう言うとリョーマの手を掴んでずんずんとクラブハウスの中に入っていった。
クラブハウスのロビーに置かれている応接セットのソファに座らされて紅茶を差し出されたリョーマは自分の目の前で上品に微笑む女性をじっと見て言った。
「あんた誰?俺はあんたの客になった覚えないんだけど」
気を抜けば上ずりそうになる声をなんとか平静に保ち尚且つ強気な視線で女性を見つめた。
リョーマには直感で判った。この女性が手塚の見合い相手の女性だという事が。
「私は音羽詩織です。ここで会計の担当をしております。無理矢理お連れしちゃってごめんなさい。私どうしても越前さんとお話してみたかったものだから」
「俺と話してもあんまり面白くないと思うけど」
「そうかしら?国光さんの話ではとても興味深い人でしたわ」
「それは先輩が話に勝手に尾ひれ背ひれをつけているんでしょ」
「国光さんはそんなことする人じゃありませんわ」
「・・・・・・あんた先輩の何なの?」
「国光さんとは親しくさせていただいている知人です」
「あんた先輩の見合い相手の人でしょ、先輩の“彼女”だって堂々と言えばいいじゃん」
「・・・・・・“彼女”と言ってしまってもいいものかしらね」
詩織は苦笑しながら俯いた。ティーカップを持つ手が僅かに震えている。
「国光さんはいつも私を通して遠くを見ています。私に優しい言葉をかけてくださるのですが私には解りました、国光さんにはテニスが全てなんです。私ごときが入れる隙間はありません」
リョーマは黙って詩織を見つめた。
手塚は嘘がつけない。リョーマは手塚に告白された時の台詞を思い出した。「彼女は確かに素敵な女性だ。だが彼女といる時は何故か越前、お前のことばかり考えてしまう」と。
「いつもは無口なのに学生時代のことを話す時だけは饒舌になるんです。そして越前さん、あなたのことを話してくれる時は特に。だから私、あなたの事が気になっていたんです」
「・・・・・・・・・」
リョーマはまるで胸を鷲掴みにされたみたいな思いがした。目の前の女性は云わば“恋敵”である。信じている手塚が同性のリョーマを抱いている等この人が知ったらどうなるだろう。そして同時に手塚に本当に愛されているのは自分だと言いたい衝撃にもかられ相反するふたつの思いがぶつかりリョーマは大きく息を吐いた。
それよりも詩織の父親が会社の上役だと手塚は言っていた。もし手塚と自分の関係を詩織が知る事になって詩織が傷つくのは勝手だが詩織の父親が手塚を処分するようなことがあったら・・・と考えるとリョーマはだんだん呼吸が苦しくなってきた。
乾の言葉が再び甦る。
『手塚に迷惑をかけるなよ。』
「あ、すみません変なこと言っちゃって・・・」
「いや、いいっすよ・・・」
そのまま数分沈黙が続き外にいた記者がどやどやとロビーに入ってきた。
「あれ、あそこにいるのって越前リョーマじゃ・・・」
「なんでここにいるんだ?」
「これってタイミングよくねえ、越前選手のコメントも聞かせてもらおうか」
数名の記者がリョーマと詩織に近づこうとした時、先程リョーマを不審者扱いした手塚の企業側の男たちがすっとやって来て「越前さんは別件でのお客様ですのでご遠慮願います」と素早く奥の部屋に押しやってしまった。
その時ひとりの記者の「手塚国光に挑戦状でも叩きつけに来たのか?」という声が聞こえた。
そして再び詩織と二人だけになったリョーマは口を開いた。
「ねえ、あんたは何で俺がここに来たのか聞かないの?」
「・・・・・・国光さんに何か相談したい事があったのではないですか?」
「何でそう思うの?」
「・・・・・・私の思い過ごしならごめんなさい。フェンス越しにコートを見ていたあなたの顔がとても辛そうで何か悩んでいる事があって国光さんを訪ねてきたと思ったんです。それでしばらく遠くから様子を伺っていたらうちの社の者達があなたを取り囲んだのでついここに無理矢理引き連れてきてしまったんです」
見抜かれていた。
リョーマは詩織をじっと見つめた。なんて勘の鋭い、そして聡明な女性なんだろう。おそらく自分と手塚の関係までは気付いていないだろうがリョーマが悩んでいたのは事実、そして気が付いたらここに来てあのまま放っておかれたら手塚に全てを打ち明けてしまいそうになっていたのも事実。詩織は悩んでいるリョーマに気が付いて部外者を追い出そうとした男からリョーマを助けてくれたのだ。
「残念だけど先輩に泣き言言いに来たんじゃないよ。さっきの記者も言っていたけど俺は宣戦布告に来たんだ」
「宣戦布告?」
「そう・・・・・・」
「越前!それに詩織さんも、ここで何を?」
リョーマの台詞はロビーに入ってきた手塚の声で遮られた。
「国光さん・・・」
「先輩・・・」
リョーマはソファから立ち上がって手塚を見つめた。
手塚の後方にいた数人の記者とカメラマンがリョーマを好奇の目で見ているのが嫌でも解る。
手塚に迷惑をかけてはいけない。
リョーマはぐっと左手を握り締めた。
「報告に来たんです」
「報告?」
「次回○○大会に出場します。今日エントリーの手続きを済ませました。コーチもトレーナーももう大会に出ても大丈夫だと言ってくれたので」
「そうか、良かったな」
「では用件はそれだけですので失礼します」
「あ、おいっ越前!」
手塚の制止を振り切ってリョーマは踵を返してクラブハウスから飛び出した。
「おや?越前さん、もうお帰りかい?」
先程リョーマを不審者扱いした男が擦れ違い様に問うてきた。
「ええ、手塚先輩にちょっと報告する事があってもう済みましたから」
リョーマは男に軽く頭を下げて走り去った。
ここに長居してはいけないと思った。
早く立ち去りたいと思った。
リョーマは最寄の地下鉄の駅まで全力疾走した。
堪えきれず湧き上がった涙が目尻から後方に飛ばされてゆく。
赤信号で一旦立ち止まり流れる涙を上着の袖で乱暴に拭った。
現実を思い知らされた。
リョーマは肩で息をして呼吸を落ち着けた。
覚悟を決めた。
「さよなら、手塚先輩・・・」
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