〜 ten years after 〜 10年後の日常
† Necessary 3 †
「そんなんだから英二は女に騙されるんだよ!」
「あ・・・」
言葉が出なかった。
否、返す言葉が見当たらなかったのだ。
不二の言葉は俺をダイレクトに貫いた。
『お人よし』だと小さい頃から良く言われた。
『優しさが時には命取りになることだってある』と会社に入って初めての新人研修で講師をしていた本店の営業部長が言っていた。
勤めだして最初の頃、先輩営業マンにOJTをしてもらっている時に先輩に『これはビジネスなんだから情を移してはいけない』と何度も注意をされた。
でも、人は考える生き物で感情を持つ生き物だ。
そして生まれて初めて本気で好きになった女性に弄ばれた。
もう恋なんてしない
何度も思った。
そんな俺を立ち直らせてくれたのは不二。
俺は何も言っていないのに不二は俺の心の闇を見抜いてそこから救い出してくれた。
不二は俺の唯一の理解者だ。
そう思った。
なのに
何故こんなことを言われなきゃいけないんだ・・・
女に騙された事はもう自分の中で風化してどうでもよかった。
女に騙された云々よりも不二に言われた事がショックで呆然とする。
不二は俺のことを理解してくれていたじゃないか。
大泣きしてしまった俺をそっと抱きしめて朝まで包み込んでくれた。
不二がいなかったら俺はいつまでも闇を抱えたままだっただろう。
なのに
まるで不二に裏切られた気分
不二は俺のことを理解してくれてずっと親友だって思っていたけどそれは俺が勝手に思っていただけで不二は俺のことそんな風に思っていなかったのかもしれない。
そうだ、彼女だって俺が勝手に好きだっただけで向こうは何も思っていなかったのだ。
不二だって同じだったんだ。
恋愛と友情は違うけど俺は不二が大好きだ。
ずっと仲良しで親友でいたいと思った。
なのに
不二に裏切られたと気づいた途端側頭部がズキズキと痛み始めた。
そして胸の奥に渦巻く不快感。
こみ上がってくる不快感を制止させようとすればするほど体のあちこちから悲鳴が沸き起こり更に不快感を増長させる。
俺は堪えきれずベッドから起き上がりトイレに駆け込んだ。
「けほっ・・・」
大きな不快感とは裏腹に出てくるのは少しの胃液だけだった。
そういや昼に吐いてから何も食べていなかったんだっけ
次々湧き起こってくる不快感と共に俺は便器に胃液を逆流し続けた。
「英二、大丈夫?」
気が付けば不二が俺の背中をさすってくれていた。
* * * * * * * * * *
ミネラルウォーターと胃薬を飲んでようやく落ち着いた。
俺はすっかり力をなくしてダイニングテーブルに頬杖をついて傍で胃薬を薬箱にしまっている不二を睨みつける。
「俺は人を疑ってかかるよりも人を信じて傷つく方がいいから・・・」
不二は薬箱を抱えたままゆっくりと俺を振り返った。
しかし不二は何事もなかったように再び俺に背中を向けて薬箱を食器棚の下段にしまった。
「・・・・・・僕はそれで傷ついた英二を見ていられないんだ」
「えっ・・・?」
背中を向けながらつぶやいた不二の言葉
以前にも言われたことがある。
「でも英二が人を信じて傷つく事を望むなら僕は何も言わない。僕は英二に自分の考えを押し付ける気はないから」
「さっき押し付けようとしてたじゃん・・・」
「福祉の仕事をしている人は成人君主じゃないっていう僕の意見を述べただけだよ」
不二はダイニングではなく横のリビングのソファに腰をかけて俺を見ずに言った。
「何でそんな風に考えるんだよ」
「一昨年、僕のお祖母さんが亡くなったんだよ」
そういや一昨年の年末に就職してすぐに海外へ行ってしまって音信不通になった不二にせめて年賀状くらいは出そうとしたら喪中の葉書が来たんだっけ。
「足が弱ってきて不自由していたからね、リハビリの為に老健施設に入っていたんだ」
「老健?」
「老人保健施設のことさ、社会福祉法人の老人ホームと違って医療法人が経営母体で病院が併設されているんだ。医療が目的だからリハビリする為に入所してだいたい2、3ヶ月したら自宅に帰るんだ。ホームみたいにずっと入所しているわけじゃない」
「じゃあ長田さんのいるさくら苑は老人ホームだからずっと入所しっぱなしなんだ」
「そういうこと」
「母方のお祖母さんでね、母親の兄、つまり僕の伯父と同居していたんだけど年の所為か足腰がすっかり弱ってしまってね。心臓にも持病があったし一度老健に入れてみたんだ」
「へえ〜、じゃあ3ヶ月して経って帰ってきたんだ」
「帰って来れなかったんだよ」
「え?」
「元気になって帰ってくるのを楽しみにしてたのに帰って来れなかったんだよ」
「何で・・・・・・?」
「・・・分からない」
「分からないって?」
「・・・分からないんだよ。ある日突然伯父の家に老健から電話があってお祖母さんが事故にあったって・・・」
「事故?」
「老健の職員がお祖母さんの部屋に入ったらお祖母さんが車椅子から落ちていて頭から血を流して倒れていたって・・・それで救急で市民病院に運んだけど意識が朦朧としたままで・・・そのまま肺炎にかかって亡くなってしまったんだよ」
「市民病院?施設に併設されている病院があるじゃん?」
「それが何故か同じ敷地内にある併設病院じゃなくて少し離れたところの市民病院に運ばれたんだよ。主治医が市民病院だったからかもしれないけど」
「ふーん、じゃあ職員が目を離した間の事故だったんだ」
「違うよ!後で市民病院の医者が言ってたんだよ。『車椅子から落ちたとかこけたとかの怪我じゃない、誰かに殴られた怪我だ』ってね。でも老健側はお祖母さんが勝手にこけていたとの一点張りなんだよ」
「職員が殴ったかもしれないの?」
「かもね、後で調べてみて解ったんだけど介護の現場なんて結構荒々しいもので特に施設なんかでは高齢者虐待が日常茶飯事なんだって」
「酷い・・・でも市民病院の医者が『こけた怪我じゃない』って言っているんだからそれで証明できるじゃん」
「それがね、老健の職員の『私がやりました』っていう自供がないとだめなんだよ。証拠がないからだめなんだよ」
「そんな馬鹿な話あるかよ!」
「あるんだよ。でも車椅子に座っていてバランス崩して勝手に倒れただけで顔半分が腫れあがると思う?頭から血を流すと思う?」
「思わない・・・」
「せめてお祖母さんに意識があったら何があったのか聞けたけど『死人に口なし』ってこのことだよね。お祖母さんを火葬してお骨拾いした時びっくりしたよ。そこは電気で焼く火葬場だったんで出てきたお骨が結構きれいなんだけどお祖母さんの頭蓋骨の内側が血で赤く染まっていたんだよ。そんなになるくらいお祖母さんは頭に相当な衝撃をくらったんだよ」
「酷すぎるよそれ・・・警察や弁護士に言わなかったの?」
「言ったさ、僕は仕事で当時フランスにいたし裕太は京都にいたから僕の母さんと伯父夫婦の3人が奔走したさ」
「で、どうしたの?」
「まず老健に何度事故の状況を聞いても『お祖母さんが勝手にこけたので施設側には落ち度はない』の一点張り、そこで老健の近所の○○警察に相談に行ったんだ。けど警察は話を聞いただけで動いてくれなかった」
「何だよそれ、税金ドロボーじゃん」
「たまたま伯父の知り合いで警察庁の偉いさんがいたからその人に伯父が言ったらやっとこさ○○警察が動いてくれたよ。けどね、警察が老健に入った時には既に老健側はお祖母さんに関するカルテやら書類やらをすべて改ざんしていて証拠隠滅されていたんだよ。いくら怪しくても証拠がなけりゃ立証できないんだ」
「・・・・・・・・・」
俺は何も言えなかった。サスペンスドラマとかで似たような展開の話を見たことあるけどこんなことが実際に起こっているなんて信じられなかった。
「ある日母さんと伯母さんが弁護士会館で開催されていた市民相談会に行ったんだよ、そしたらその時担当していた弁護士がなんて言ったと思う?」
「・・・『そんな難しい事できません』、とか?」
「それならまだいいよ。たったひとこと『それがどうしたんだい』だったんだよ」
不二は俺を見ずにずっと俯いたまま喋り続けた。見るからに辛そうでそれでいて怒っているようにも見える。
こんな表情の不二を見たのって初めてだ。
10年前の観月との試合の際も怒っていたけど不二自らの手で観月に制裁を下したからごく不通の怒り方に見えたけど今俺が見ている不二は違う、行き所のない怒りを無理矢理押さえ込んで苦しんでいる。
「何だよそれ・・・・・・」
市民を守るはずの警察が人一人死んでいるのに動かなかったなんて・・・
人の命を守るはずの病院(施設)がカルテを改ざんするなんて・・・
そして弱者を守る弁護士までもが・・・
「伯母が弁護士に『人が死んでるのに!』って怒ったんだよ。そしたらその弁護士は『医療過誤は証拠が押さえにくいから訴えても敗訴になるケースが多い。負けると分かっている事を引き受けたくない。それでも訴えるのならいくら払うんだ?』って言ったんだよ」
「・・・世の中金かよ。まあ弁護士も負けたら金にならないもんな」
金融機関に勤めていて毎日金を数えているけど客観的に世の中を見るとやっぱ世の中金にまみれていて汚い事も多々ある。けど人の命はお金に代えられない。
「お祖母さんが旧地主で結構遺産があったらしいからお金が出せない事はなかったらしいけど弁護士がやる気ないんじゃだめだよね」
「ねえ英二・・・」
ここで初めて不二は顔をあげて俺を見た。
「介護士や警察官や弁護士という所謂世の中で『人を助ける仕事』をしている人の実態ってこんなもんだよ。そりゃそうじゃない人もいるかもしれないし僕の偏見だってことぐらい解っているけどやっぱり疑ってかかるよ」
俺は掛ける言葉が見つからずただ空になったグラスを握り締めているしかできなかった。
学生時代は絶対に他人を否定することのなかった不二が人を疑って否定するようになってしまった。
それは悲しい事だけど身内がそんな死に方をしたら致し方ないのかもしれない。不二がそうなってしまった原因が解っている事だけどその原因は俺では解決ができない。おそらく俺や不二の身の回りの人間ではこの先解決できないことだろう。
「・・・済んだ事をとやかく言ってもお祖母さんはもう生き返らないんだ。だからせめて事故原因をはっきりさせたかった」
俺の知らない間に不二は変わっていた。そして手塚も少し丸く変わった。
桃と海堂も雰囲気が変わっていたし結局昔のまま成長がないのは俺だけだったのかもしれない。
俺は外見はもうすぐ25歳になるどこからみても大人だけど結局中身は10年前となんら変わりがないのではないだろうか。
成長してねーじゃん・・・
「不二も手塚も大変な目に遭ってそれを教訓にものの見方が変わった・・・俺だけ変わんなくてきっとこの先何度でも同じ目に遭ってしまうんだろな、俺って学習能力がないよな・・・」
俺は不二を見ずに手に持っている空のグラスを見ながら言った。
人は色々な事を経験して成長をしていく、それは良い様なこともあれば悪く変化を遂げる事だってある。
「・・・けど僕は昔と変わらない純粋な英二の方がやっぱ好きだな」
不二がにこにこしながら言った。
それはさっきまでの険を含んだような表情ではなく俺が知っているいつもの不二の笑顔だった。
「英二は僕みたいにひねくれたら駄目だよ。まっすぐな心を持っているのが英二の長所なんだから、そんな英二だからあのお婆さんも英二の事気に入ってくれていたんだよ。支店長さんだって英二の事理解してくれたんだよ」
「不二・・・・・・」
「長田さんだっけ?英二はいい人に出会ったね。僕のお祖母さんも長田さんみたいな介護士に会わせたかったな・・・」
不二が苦笑しながらポツリと言った。
人は出会う人によってこんなに左右されるものだと今になって解った気がする。
俺は今まで安穏と生活してきた。
それは逆に言えば俺が今まで出会った人達が良い奴ばかりだったから悪いように考えなかったのだろう。
学生時代の仲間や先輩達、そして社会に入ってからの上司や先輩達。厳しくしごかれたり叱られたり注意されたりはしょっちゅうあったけどそれは俺がミスしたりだとか俺が原因であって悪意を持って故意にされた事はなかった。
今まで何も思わなかったけど俺が出会ってきた人はいい人ばかりだったんだ。
よき出会いに俺は今更ながら感謝しよう。
そしてこんな俺を叱咤激励してくれる不二に再会出来た事に感謝しよう。
俺は不二と一緒に生活をするようになってから色々なことを学んだ。まだ半年しか一緒に生活していないけどこの半年は内容の濃いものだった。
思えば俺が不二と再会したのは偶然じゃなくて必然的なものだったのかもしれない。
長兄が結婚しなかったら今俺の前に座っているのは不二ではなくて長兄だっただろう。
あの日俺が単身用の部屋を探しに不動産屋へ行かなかったら・・・
不二が異動で日本に戻ってきていなかったら・・・
色々な偶然が重なって俺達は再会した。 人の出会いは本当に不思議なものだ。
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