「そうか、桃も海堂も元気でやってるのか。それはよかった」
「んーさすがに今は顔を合わせれば喧嘩ってのはやらないけどね。相変らずいいライバル同士ってのをやってるよ」
言いながらキャラメルフラペチーノのホイップを口に含むと独特の甘ったるい感触が口の中に広がる。
目の前に居る大石は黙ってエスプレッソをスプーンでかき回しているがその顔は「よくそんな甘い物食えるな」と言いたげだった。
傷
Act.4
大石が一時的に東京へ帰省してきた。
理由は手塚の試合を観る為。そして一緒に行こうと俺も誘われた。
手塚とあんな事があった後なので正直行きたくなかったけどここで断ると大石に変に思われるしそれに観客席から見ているだけだし久しぶりに大石に会いたいというのもあってそしてこうやって待ち合わせ場所の会場近くのスタバに居る。
結局俺はあの時手塚を殴ってそのままホテルを飛び出してきた。
やっぱさ、あんなの手塚らしくないじゃん。
俺が尊敬してた手塚は強く逞しく何事にも動じない無敵の鬼部長。
俺に惑わされたら駄目だっつーの!
「……手塚を殴ったんだって」
「ぶはっ!」
大石の唐突な言葉に飲みかけたフラペチーノが逆流する。
ゲホッゲホッ…
慌てて近くにあった紙ナプキンで口元を押さえて咳き込みながら大石を睨みつける。「何でお前が知ってるんだ」と
「こっちに帰って来た日に手塚に会いに行ったんだよ。そしたら頬が腫れていたからさ、問い詰めたら白状した」
その台詞に俺はがっくり肩を落とす。俺と手塚のことがばれたんだ。ってか手塚のヤロー、何大石に簡単に喋ってんだよ。お前はご近所放送局のおばちゃんかよ。
「あ、いや…俺、手塚の気持ちは中等部の頃から知ってたから。だてに副部長やってないし」
「大石…」
「まったくあいつは…中等部の頃は『想っているだけでいい』なんて純愛めいた事言ってたくせに。……こんなに手が早い奴だとは思わなかったよ。殴られて少しは反省すればいいんだけどな」
呆れたように溜息をつく大石に内心ホッとする。大石はずっと見守ってきたんだ。
「じゃあ時間だし、そろそろ行こうか」
準決勝まで勝ち進んだ手塚の対戦相手は世界ランク3位のアメリカの超有名選手だった。
周囲の誰もが「相手が世界ランク3位だとさすがに駄目だろう」と諦めモードだったけどそんな中でも俺は「手塚ならひょっとして…」と淡い期待を抱いていた。
結果は手塚の負け。
自分よりも数段格の高い選手にがむしゃらに向かって行き自分の力を出し尽くしたその姿に観客席は「日本人がここまで上がってきただけでも凄いものだ」と手塚に割れんばかりの拍手を送った。
気が付けば俺の握られた手はぐっしょりと汗で濡れていた。
全然気が付かなかった。それ程までに俺は試合に夢中になっていたのだ。
「いい試合だったな」
横で大石がポツリと呟いた。
「ああ」
まだ試合の余韻でぼんやりしたまま答えると徐に大石が言った。
「あれが俺たちの知っている手塚国光だ」
その言葉に胸が一瞬高鳴った。
誰よりも強く、誰よりも逞しく、そして目標に向かってひたすら真っ直ぐなテニス馬鹿。俺たちの青学テニス部部長の手塚国光。
そして俺が仲間の粋を超えて尊敬した人物。
「何か思うことがありそうだな」
大石に言われて我に返った。周囲の観客は白熱試合の余韻を抱えながら次々と出口に向かって歩き出している。
そんな中で俺はまだぼんやりとベンチに座っていた。
「実はさ、バックステージパスってやつ貰ったんだ。今から手塚に会いに行こうと思う。英二も来るだろ」
「えっ!?」
強引に大石に腕を引っ張られて立たされる。
「ちょっ…いいよ俺は、このまま帰るから大石だけ行けよっていでで!!」
大石の俺の腕を掴む手に力が篭った。
「手塚はこの試合が終わったらすぐにイギリスに戻らなくてはならないんだ。手塚に言いたいことがあるんだろ?今しかチャンスはないぞ」
「いでででっ!言いたいことなんかないってば!」
「嘘つけ、顔に思いっきりかいてあるぞ」
そして強引に控え室近くまで引き摺られた。
「大石君だね、聞いてるよ。ちょっとそこのベンチで待っててくれるかな」
手塚のチームの関係者に関係者控え室のベンチに座るように促され2人でぼんやりと座っていた。
目の前を会場関係者や報道陣が走り回りその慌しさの中で俺たち2人だけこんなにのんびり座っているのは申し訳ないような気分になってくる。
時折スポーツ記者らしき人物がこちらを見て「おっ青学の黄金ペアだ」と言っているのが聞こえてきた。
俺たちは大学に進学してペアを解消せざるを得なくなった。それはそれぞれの進路の為でだから致し方ない。でもそれでもかつての俺たちの事を知ってくれていた人がいるのにちょっと嬉しくもなったりする。
「待たせたようで済まなかったな」
ようやく通された手塚の控え室でシャワーを浴びてすっきりした顔の手塚が言った。
控え室は俺たち3人だけだったのですっかり同窓会話になって結構もりあがった。
手塚も俺も先日の事には触れることなく今までどおりの同級生に徹していた。
最初からこうやって数人で同窓会的に会っていたら俺は手塚を殴ることはなかっただろう。できればあんなことはなくずっと普通の同級生でいたかった。
今からでも間に合うだろうか。
きっと大丈夫。
このままワイワイ喋ってそんで時間が来たらバイバイまたねで別れてまたいつもの日常が始まる。
しかし俺の計画は見事に打ち崩された。
「じゃあ俺は早く帰らないといけないから先に帰るよ。あとはよろしく」
大石が先に帰ると言い出したのだ。
「ちょ、ちょっと待てよ!大石が帰るなら俺も帰るから」
「英二」
真剣な眼差しの大石に真正面から見据えられて動きかけた体が固まる。
「お前は言いたいことを言ってから帰るんだ」
「言いたいことなんかないってば」
「じゃあ何故試合終了後、俺が何度『英二』と呼んでもぼんやりしてコートを見詰めたままだったんだ?」
「それは…」
「俺にも責任はあるんだ。手塚に英二のバイト先をメールで教えたのは俺なんだ。だから英二が手塚に会ったのは偶然じゃなくて必然なんだ」
な…んだって。じゃあ手塚はわざと俺が働いているホテルを選んで宿泊したのか。
「すまない英二。俺は手塚も英二も2人とも大切な仲間で一生大切にしたい友達なんだ。だけど君たちにくっつけだとか別れろとかは俺が言える立場ではない。だがもやもやしたことは今ここで解消してくれ」
大石が出て行った後、しばらく沈黙が続きその空気の重さに押し潰されそうになる。
これは何かを言わなきゃいけないなと思い、とりあえず殴ったことを謝っとけと思った。
「ごめん」
「すまない」
同時だった。
俺が謝罪の言葉を口にした時、手塚も謝罪の言葉を口にしていた。
「強引過ぎた。あれは済まないと思ってる。久しぶりに菊丸を見て抑えきれなくなってしまった。自分に油断した」
素直すぎる手塚の態度に俺は驚き何て返したらいいか判らなくなる。
「俺も殴ったりして悪かったよ」
俺も素直になろう。
「…殴られるような事をしたからな」
すると手塚は皮肉っぽく唇の端だけを吊り上げて鼻でフフンと笑った。
中等部時代の鉄仮面のような手塚からはとても想像できない表情。
「何だ、手塚も笑えるようになったじゃん」
「…もう子供じゃないからな」
その台詞に心臓がトクンと高鳴った。
今なら本音を言えるかも…
「あ、あのさ。この前成人したから改めて考えて欲しいって言ってたじゃん」
「ああ」
「俺、今日の試合見て改めて思ったよ」
目を逸らさず手塚の目を真っ直ぐ見る。
「何がだ?」
「俺、テニスをしている時の手塚が好きなんだ。それは中等部の時から変らない。やっぱ手塚はテニスをしている時が一番いいよ。だから俺なんかに惑わされないで、俺を一番にしないで。手塚の一番はテニス以外の何物でもないよ」
「菊丸……」
「テニスと俺をどちらを取る?なんて選択を迫られた時にはテニスを選んで欲しい。それが俺の手塚に望む事」
手塚の眼鏡の奥の瞳が僅かに動揺の色を見せる。
「そりゃ、人として一番に愛されるってのは嬉しい事だけど俺は手塚にはそんな事望まない」
「だからさ、手塚にとって俺がテニス以下になったら今度こそ2人っきりで会ってやるよ」
俺がそう言うと手塚は一瞬何かを言いかけたみたいだったが直ぐに口を閉ざして何かを考えるような表情で俺をじっと見詰め続けた。それに対し俺も無言で見詰め返す。
やがて手塚は今までに見せた事のない柔らかな微笑と共に言った。
「上等だ。だがその傷は一生消えないと思えよ。俺の想いが篭っているのだからな」
了
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