〜 ten years after 〜 10年後の日常(番外編)
† 遠い日の思い出 †
越前が手塚を追ってアメリカへ旅立った。
表向きは世界に飛び出した手塚が所属する事になったアメリカのチームがもう一人日本人選手を欲しがったので手塚が青学時代の後輩である越前を勧誘したことになっている。
二人とも世界に出ても十分通用する実力だからきっと大丈夫だろう。
いや、寧ろ今まで国内に留まっていたのが不思議なくらいだ。しかし二人とも『青学』に所属する事に拘った結果だから今まで辿って来た道に悔いはないのだろう。
けどそれはあくまでもテニスにおける話だ。
二人がアメリカに飛び出た一番の理由は二人が同性でありながらお互いを愛し合ってしまったことだ。
日本では未だ同性の恋愛には風当たりが強く著名人がそうであると発覚した場合マスコミに散々叩かれる結果になってしまう。
俺はそれを恐れて一年ほど前に内々で二人を別れさせてしまった。
あの時の越前の辛そうな顔は忘れようと思ってもきっと一生忘れる事は出来ないだろう。初めて会った中等部の頃から変らずポーカーフェイスの彼が歯を食いしばり沸きあがる激情を無理矢理押さえ込み閉じた瞳から堪えきれず零れ落ちた涙が頬を伝った。
とても平常心を保って見ていられる光景ではなかった。俺の方が胸を貫かれるような痛みに襲われ呼吸運動が発作的に激しくなる。しかし俺は彼が何事にも邪魔されずにテニスをプレーさせる為に鬼にならなければならない。
以前越前が試合前に越前を快く思っていない連中に陵辱されるという事件が起こった時、越前は黙っていたがおそらく激しいショックを受けていたのは間違いない。そしてその時俺は「何故越前の傍を一瞬でも離れてしまったのだろう」という後悔ばかりしていて先のことを考える余裕がなかった。そんな時に見舞いに訪れた手塚はあっさりと越前の中から不安と恐怖を取り除いた。だから手塚は越前の恩人でもあるのだが恋愛になると事情は違ってくる。苦渋の決断の末、俺は二人を別れさせた。
別れてからの二人は何事もなかったのようにあちこちの大会に出て実力を現し『普通のテニス選手』としてマスコミにもとりあげられるようになった。
俺の計算ではこのまま前に突き進む筈・・・だった。
計算外だったのは手塚が越前を諦めていなかった事だった。手塚は同性愛が認められているアメリカへ越前を連れて渡ってしまった。
「越前は俺が貰った。もう誰にも邪魔をさせないからな」
手塚が俺に言った言葉を思い出して空を仰いだ。
今頃あいつらは遠いアメリカの地で元気でやっているのだろうか。
雲ひとつない晴天の下を歩いているうちに俺は目的地に着いてしまった。
『立海大学』
そう書かれた石門の横の守衛室で来校目的を告げ、校内へ入った。
「久方ぶりだな」
文学部の古典研究室のドアを開けると長身の幼馴染みが出てきた。
「まあ座れ、今は俺一人しかいないから寛いでくれ」
ソファに座り室内をぐるりと見回す。色々な資料が積み上げられまるで小さな世界ができていた。
差し出されたお茶を俺がひと口飲んだのを見て蓮二は口を開いた。
「直ぐにコートに行くか?それともここで資料を見てからにするか?」
「資料を先に見させてもらう。俺が集めたデータより関係者である蓮二のデータの方が詳しいだろうからな」
「そう言うだろうと思った」
現立海大四回生の学生チャンピオンが次の春に大学卒業と同時に俺の勤め先に所属してプロとして活動する事になったので俺は試合では見ることの出来ない日頃の彼の練習ぶりを観察に来たのだ。そして大学テニス部の練習メニューの組み方を指導しているのが俺の幼馴染みである柳蓮二だったのだ。
蓮二は大学院に進み研究助手をする傍ら付属高校で非常勤講師をして尚且つ大学テニス部のコーチも兼ねているという多忙な生活をしている。こうやって直接顔を合わせるのは何年ぶりだろうか。
俺の前に学生チャンピオンのデータの詰まったノートやスクラップブックを置いた蓮二が言った。
「・・・はっきり言っておくが彼は十分に実力のある選手だしそれなりに面白い選手だ。だが今まで越前を見ていた貞治にとって少々役不足かもしれんな」
俺はスクラップブックに落としていた視線を上げた。
「それだけ越前の実力は今まで稀にない逸材だということだ」
蓮二の声は相変らず静かだった。
静寂を破ったのは研究室の内線電話の呼び出し音だった。
蓮二は直ぐに電話に出るとしばらく何かを話していたが、俺には専門用語が多くて意味がわからない。
「相変らず忙しそうだな」
「すまない、研究の方も佳境に入っていて色々と問題を抱えているのだ」
「今更な質問だが何故研究の道に進んだのだ?」
俺の質問に蓮二は一瞬怪訝な表情をした。そして凛とした声で言った。
「教授になるためだ」
思い返す遠い日の自分達。頭の中で時間がどんどん逆流していく。
それは幼い自分達が互いを呼び合っていた愛称。
幼き日の戯言だと思っていたが目の前の幼馴染みは着々とその道を進んでいる。
俺の中で何かが大きな音を立てて響いた。
次の春、俺は会社を辞めて博士号を取る為に大学院博士課程に入学した。
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