| いっさいの風を受けて、舞い上がれこの春の空に
 
 
 
 
 その日は暦の上では春とは言えど、吹く風はまだ冷たさを残しそれはまるで去るものに縋るかのようなこの時期を表現するには相応しいようで相応しくない、そんな気候だった。
 人工的な照明に照らされた厳かな空間から自然の空間に順番に出てきた集団の前から6番目の団体---3年6組のよく見知った2人の卒業生の顔を見つけた少年は、彼にしてはめずらしく2人に駆け寄った。
 「先輩達、卒業おめでとうございます」
 「ありがとう。越前」
 「ありがとう。おチビちゃん」
 後輩から差し出された一輪の薔薇を3年6組の卒業生、不二と菊丸はそれぞれ受け取った。
 「なんだかこうされると本当に僕達卒業するんだって実感するよね」
 「そういや・・・」
 菊丸はさっきまで卒業式の会場だった体育館を振り返った。
 「体育館建て替えるんだってね。なんだか俺たちの卒業と同時って悔しくない?去年建て替えてくれたら今頃ピカピカの体育館で卒業式だったんだよ」
 「なんだかタイミング悪かったね」
 「この体育館古いんでしょ。校舎は5年前に建て替えたって聞いたけど体育館は昔のままで俺の親父の時もこれみたいでしたよ」
 「越前の親父さんの時からか・・・じゃあ結構古いよね」
 「桃ん時がピカピカの体育館で卒業式か。チクショー!」
 「まあまあ英二・・・」
 「そういやもう春休みには取り壊し工事が始まって運動場の隅に仮設の体育館を建てるって聞きました。その分運動場が狭くなるから朝練遅刻してグラウンド走らされても今までより距離が短くなるからラッキーかも」
 「おチビってば…それ桃城部長に言いつけてやろうっと」
 「あ、ちょっと菊丸先輩ってば!!!」
 慌てるリョーマの頭をポンポンと叩いた菊丸が舌を出して「ウ・ソ」と囁いた。
 「本当にこれで最後なんだな。でも俺達は高等部持ち上がりで隣の敷地にいるからさ、何か困ったことがあったらいつでもおいでよ。新レギュラーの荒井に苛められた時とかさ」
 「英二・・・越前が苛められるようなガラじゃないだろ」
 「それもそうか」
 
 微笑みあう仲良い二人の卒業生の前で先程から話題にされていた越前リョーマはずっと俯いていた。
 「おや?おチビちゃんどうしたの?」
 いつもと様子の違うリョーマを前に菊丸がリョーマの顔を覗き込んだ。
 「ちょっちょっとおチビってば〜!!!」
 菊丸の慌てように不二もリョーマをチラリと見た。俯くリョーマの大きな瞳には涙が溜まっていた。
 「もうっしょーがないなあ」
 菊丸がリョーマを優しく抱き締める。テニス部で一緒に練習していた時は菊丸はよく後からリョーマに抱き付いていたのだがこうやって正面から“抱き締める”のは初めてだった。
 「そんなに俺達が卒業するのが悲しい?」
 菊丸の胸の中でリョーマはただこくこくと頷くだけだった。
 「なんかおチビらしくない。おチビはいっつも強気でどんな相手でも挑発してたじゃん。・・・でも今日は許す、思いっきり泣いちゃえ」
 菊丸の手が優しくリョーマの髪を撫でる。
 「菊丸先輩・・・ありがとうございます」
 リョーマは菊丸に思いっきりしがみ付いた。
 「ん?そういやお前、背伸びたな」
 「もーすぐ追いつきますよ」
 共に頂点を目指したあの夏の日はどこから見てもまだまだお子様身長で菊丸の腕の中にすっぽりと収まっていたリョーマも乾が勧めた1日2本の牛乳のお陰か秋から冬にかけてぐんと身長が伸びて今のように抱き寄せるとリョーマの顔が菊丸の首すじに埋まるくらいになっていた。
 「ほお〜それはどうかなvv」
 「いつか菊丸先輩を越したら今度は俺が羽交い絞めに抱き締めに行きます」
 「へえ〜あの“おチビちゃん”の背が伸びて今度は逆に俺に抱きつくの?そりゃ楽しみ楽しみvv」
 「菊丸先輩・・・今まで有難うございました。先輩が居たから・・・楽しかったです」
 「3年後、お前が高等部へ来るのを楽しみにしてるよ」
 リョーマは菊丸の温かさを全身で受けながら暫らく菊丸の胸で溢れる涙を自然のままにまかせていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ざばざばざばっ
 手洗い場で顔を洗っていたリョーマにすっとタオルを差し出す人物がいた。
 「不二先輩・・・・・・」
 「タオル持ってますからいいです」
 差し出された手を無視して自分のタオルを取り出して顔を拭く。
 「これ、英二のタオルだよ。越前に渡してこいって」
 「・・・・・・・・・」
 
 瞬時にその顔に戸惑いが見えたが直ぐにいつもの強気な顔に戻るところはさすが手塚から青学の柱を引き継いだだけの度量がある。
 「嘘だと思ってるでしょ。いいよ、そう思うのなら」
 不二もその表情からどこまでが真実なのかまるで読ませようとさせない。
 「相変らずっスね」
 リョーマは不二を睨みつける。
 「君こそしばらく見ないうちに随分と根性つけたじゃない」
 不二が目見開いて口だけ吊り上げて笑う。
 「薬はきちんと飲んでおくんだね。今朝は飲んでないんだろ」
 「何のことっスか?」
 「この期に及んで惚ける気かい?ボケるにはまだ早過ぎるよ」
 「わけわからないっス。じゃあ俺もう行きますから」
 回れ右をして不二の元から去ろうとするリョーマの背に不二は爆弾を投げた。
 
 「毎日牛乳2本にヨーグルトを加えるといいよ。ヨーグルトは花粉症予防になるから」
 ゆっくりとリョーマが振り返る。
 「気付いてたんだ?」
 日本へ来てやっと1年経ったリョーマに今まで経験したことのない災難が降りかかった。
 最初は突然鼻や目を襲う痛痒さに自分の身に何が起こったのか判らず戸惑いながらテニスの練習をしていたがやがて集中出来なくなって不調気味になってしまった。見るに見かねた新部長の桃城が「練習はいいからとりあえず耳鼻科に行ってこい」と言ったので行った耳鼻科で花粉症の存在を初めて知ることになった。
 
 「大したもんだよ君も、卒業式にかこつけて英二に泣き落とし作戦。英二は君が花粉症なんて知らないからボロボロ泣く君を放っておけなくなって慰めてしまう。いやあお見事お見事」
 パチパチとわざとらしく拍手をする不二を一瞥してリョーマは言った。
 「日頃あんたがあの人の傍にずっといて邪魔するんだから仕方ないじゃないですか。もうこうなったら手段は選びませんよ」
 「ふうん、君は重要なことを忘れてるね」
 「何が?」
 「英二は身も心も既に僕のものなんだよ。君がどう足掻こうと無理だってこと」
 「俺はまだまだ上へ昇ります、そして菊丸先輩をあんたから奪います。今は、今は菊丸先輩にとって俺はただの後輩でおチビちゃんかもしれないけどいつか先輩よりも背が伸びて逞しくなったら・・・」
 「背が伸びて逞しくなったら英二が手に入ると本気で思ってるの?ばっかだね〜。それじゃあ今頃英二は手塚か乾とデキてることになっちゃうよ」
 リョーマはただ黙って目の前で勝ち誇ったように喋り捲る不二を睨みつける。
 「大体僕は英二よりも背が低いんだよ。それでもベッドの中じゃ英二は僕に組み敷かれて大人しくされるがままになっている。英二を掴もうと本気で思うのなら背や逞しさじゃなく英二を本気で想う心が重要なんだよ」
 目の前から鋭い刃のように飛んでくる口撃などものともしない表情でリョーマは反論する。
 「身長は低いけど体重はアンタの方が重いじゃん。重い奴に圧し掛かられたらそりゃ押し倒されますよ」
 
 「ふうん、面白いこと言うんだね、君は。まあせいぜい君がこれからどう出てくるか楽しみにしてるよ」
 「じゃあ足元をすくわれないようにして下さい」
 
 
 その日は暦の上では春とは言えど、吹く風はまだ冷たさを残しそれはまるで去るものに縋るかのようなこの時期を表現するには相応しいようで相応しくない。
 そんな不安定な気候が今のこの2人の間の空気を読んだかのような言い知れぬ冷たい風を吹きつける。
 
 「俺はどんな向かい風が吹こうとそれに立ち向かいます」
 煽られる風に目を細めながらも目の前の恋敵を真っ直ぐに見据える。
 「じゃあ風が止まないうちにサービスを決めてどんどん引き離さないといけないな」
 一方まるで第3のカウンターを繰り出す時みたいに余裕たっぷりに応える不二。
 
 「必ず追いついてみせます」
 
 びゅうっと音を立てて風が舞い上がる。
 春の嵐の元凶を責めているのか煽っているのか、冬の存在を残す風は一段と激しさを増した気がした。
 
 
 
 
 
 終
 
 
 
 
 
 
 
 リョーマ君は花粉症にかこつけてこんな姑息な手段は決して使わない子だと思いますが恋敵が魔王・不二様相手ならこれくらいやっちゃいそうな気がしました。不二と菊は簡単に離れることのない仲だとリョーマも心のどこかではわかっているのですがそれでも無駄な足掻きをしてしまう。恋は人を狂わせる、そしてまだまだお子様なリョーマです。
 卒業がテーマなのに寒い話でごめんなさい。
 2006.03.20
 
 
 
 
 
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