光る風に流れる髪を指に絡め
高校を卒業と同時にアメリカ西海岸へ渡って本格的にプロテニスプレーヤーの道を歩き始めたリョーマが菊丸の誕生日に贈ってきたエアメールにはアメリカ行きの航空券が入っていた。しかも出発日時は大晦日。
「向こうのバースデーカードだと思って開けてみたら……これだよ。あいつ強引じゃねー?俺、頭を縦に振ったわけじゃないのにさ」
食堂でカレー用スプーンを振り回しながらむくれている菊丸を目の前に不二はつまらなそうにただ目の前の天ぷらそばに七味唐辛子をかけ続ける。
「不二ったらちゃんと俺の話聞いてるって!!!おいお前またそんなに七味をかけてそれじゃあ天そばじゃなくて赤いてんこ盛りの何かだよ!ここの食堂の七味の減りが異常に早いのってお前の所為じゃないの!」
「いや、今日はこれでも加減しているんだけどね。英二のノロケ話で食前にお腹一杯になったし…」
「ノロケじゃないって!俺は真面目に不二に相談してんの!」
リョーマが高等部に進学してすぐに菊丸に熱烈にアタックしてくるようになった。しかし菊丸はそれらを冗談のように流し続けた。
そして菊丸は青学の大学部に進学してリョーマに追いかけられることもなくなった、かに見えたがリョーマが高等部の卒業式の次の日にいきなり菊丸に電話をしてアメリカに渡ることを告げた。唐突だった。
「俺、明日アメリカに行くんです」
「明日って!そりゃ高校テニス界ナンバーワンのお前がプロになってアメリカに行くってのは噂で聞いてたけど明日って聞いてないぞ!」
「だから今言ってんじゃないですか」
「明日って俺バイト入ってるし今から休み取れるかな…」
「見送りには来なくていいっすよ」
「なんで!?カワイイ後輩がプロに旅立つのに」
「アンタが来たら後ろ髪曳かれて飛行機に乗れなくなっちゃいますよ」
その言葉に菊丸は固まる。リョーマはまだ自分の事を諦めていなかったのだ。
「俺がプロになってランクを上げて自信がついたら改めて会いに行きますよ」
「……おい、お前勝手なことばかり言ってるけど本気でテニスで上を目指すなら俺のことは忘れろ!学生時代のただの先輩止まりにしとけって。俺はお前の足を引っ張りたくないんだよ」
1つの事を極め、上を目指す者にごく普通の人生を歩むことしかできない自分は不釣合いだ。今は良くてもいずれ住む世界の違いを思い知らされるのがオチだ。
菊丸の訴えに電話の向こうでクスッと笑う声が聞こえる。
「先輩、俺はいつまでもアンタの知っている“おちびちゃん”じゃないんですよ。先輩が足を引っ張ろうものならその足にしがみ付いている先輩ごと前に進みますよ。なんせ俺の後ろにはもう道はないんだから。もがこうが身をよじろうがひきずってでも前に進みますよ」
その言葉に菊丸は観念したが口には出さなかった。
ただごく普通の別れの挨拶をしただけだった。
「衛星放送で試合は見るから頑張れよ」
「行ってみれば」
不二が赤く染まったそばつゆをかき混ぜながら言った。
「英二自身がケリをちゃんとつけないと、こんなとこで僕にうだうだ言っていても解決できないよ。それにその航空券十ン万するよ」
「十ン万円!」
「それに英二は越前の事何だかんだ言って本当に嫌がっている訳じゃないんじゃない。黙っていても僕には判るよ。英二は越前がプロに転向したことを気にし過ぎて身を退き過ぎているよ。たまには素直になってみれば?それで越前を受け入れてみて本当に駄目だったらその時改めて越前に断ればいい。何もしないで最初から拒否してるから越前だってずっと追いかけてくるんだよ」
不二の言葉は的を得ていた。
的確に心臓を貫かれた菊丸は返す言葉もなくてただ黙って頷いているだけだった。
「まあ越前も英二を呼びつけておいてただで帰そうとはしないだろうね。行くならそれなりの覚悟をしておいた方がいいよ」
不二が意地悪く微笑んだ。
***********
大晦日の夜遅くに菊丸はロサンゼルス国際空港に到着した。
本当は早い時間に到着予定だったのだが出発間際に飛行機のエンジンに不具合が見つかり急遽別の飛行機を用意するというトラブルに見舞われたのだ。
菊丸は受け取った荷物から携帯電話を取り出して電源を入れた。
「これ、海外対応でよかったよ」
リョーマの携帯にかけてみるとリョーマは空港近くのホテルに居た。日本からの飛行機が大幅に遅れるとのニュースを聞いて慌てて空港近くのホテルを予約したのだ。
「へえ〜、気が利くじゃん」
「俺、今住んでいるトコが郊外なんですよね。夜遅くに空港に着いたら終電なくなるし」
「郊外!?また何で?俺てっきり都会でロス・ライフをしてるもんばっか思ってた」
「それは明日教えますよ。それより明日は朝一の列車に乗るから今日は早く寝ましょう」
「え、ああ」
リョーマが用意した部屋はごく普通のツインルームだった。そそくさと自分のベッドに潜り込んだリョーマを見て菊丸は少々力が抜けた。
(どう見たってこれは普通の旅行だよなあ…あ、いや普通の旅行でいいんだって俺何か緊張してる?それとも期待してる?出発前に不二があんなこと言ったから気にしすぎていたのかも)
朝一番の列車に乗って着いた駅は郊外の住宅地だった。
駅の改札を出てから黙ってリョーマの後を付いて歩いていた菊丸ははじめて見る景色に最初はキョロキョロ見渡していたが暫くして違和感に気付いた。
「あのさあ…」
「何ですか?」
「ここって住宅地だろ?」
「そうですよ」
「ホントに人住んでんの?誰もいないけど。ゴーストタウンってやつじゃねーの?」
「やだなあ。ちゃんと住んでますよ。でも今日は正月だから」
「正月?」
「アメリカはクリスマスは派手にパーティーとかやるけど正月は日本と違って初詣とかの習慣もないし家で静かに過ごすものなんですよ。特にこんな郊外ではね」
言われてみれば窓をよく見ると時折部屋の奥に灯りが見えたりして家に人の気配がするのが分かる。
「へえ〜そうなんだ。日本だと初詣に行くのに結構外に出てんじゃん」
「俺も日本に来て初めての正月は賑やかさに驚きましたよ。だからこそ今日に先輩を呼びたかったんですよ」
前を歩いていたリョーマが不意にたちどまり振り返る。そしてすっと左手を差し出してきた。
「今だけでいい、手を繋いでもいいっすか?」
「なっ、何だよお前、恥かしーこと言うなよ!」
「今なら誰も見ていませんよ」
そして菊丸の右手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと!」
菊丸の手を握ったリョーマはずんずんと歩き出した。それに引っ張られるように付いていく。
「こうやって歩いているとまるでこの町に俺たち二人っきりって感じがしません?」
菊丸はハッとして周囲を見渡した。
家は並んでいてもまるでで誰も居ないかのような静けさの中でただ二人の足音だけが聞こえる。
それはまるで二人っきりの世界にいるような錯覚をもたらす。
「小さい頃この町に住んでたんですよね。たまたま正月に出掛ける用事があって親父に連れられて歩いていた時にまるでこの世界に俺と親父の二人だけになってしまった様な感覚になってその当時は小さかったこともあって正直怖かったですよ。でも今は逆、俺と菊丸先輩の二人っきりの世界なんて素敵じゃないですか」
リョーマは菊丸の手を握ったままずんずんと前に進む。
「強引で申し訳ないと思ってる。けど菊丸先輩とこうやって正月に二人っきりの町を歩きたかったんですよ。先輩にこの風景を見て欲しかった。だからこうやって本当に来てくれて嬉しい・・・」
きっと照れているのだろう、前を向いたまま喋るリョーマ。その言葉に、態度に菊丸の顔が緩む。
リョーマは純粋にただこの町で正月の静かな時間に菊丸と手を繋いで歩きたかっただけなのだ。菊丸に日本と違う異国の正月の町を見せたかっただけなのだ。
(だから昨日は何もせずさっさと寝てしまったんだろうかコイツ)
握った手からリョーマの想いが伝わってくる。
「あ、あのさあ・・・改めて聞くけど何で俺なの?」
「俺が初めて日本へ、青学に入って慣れない日本の学生習慣にいたとき“おちびちゃん”って愛称つけて可愛がってくれたお陰で他のレギュラーの先輩とも仲良くなれて俺は団体戦の面白さ、仲間の大切さを学ぶことができたんですよ。先輩が構ってくれたから、だから“青学の越前リョーマ”になれたんです」
一生のうちで出会う人は五万といるかもしれないがそれが自分の人生に影響を与えるのはごく僅かか皆無に等しい。菊丸先輩は俺を青学の一員として一番に受け入れてくれた人だから。そんな自分を引っ張り上げてくれた人に惹かれない訳ないでしょう。
リョーマはさらにそう付け加えた。
リョーマの真っ直ぐな想いに菊丸の心がだんだんと温かくなっていく。温かくそれでいて透き通ったものが全身に染み渡ってゆく。
「越前、俺…このままずっとお前に手を握られて進むのも悪くないと思う」
不意にリョーマの足が止まる。そして菊丸を振り返った。
「先輩、それって……」
だが背に朝陽を浴びていて丁度逆光になっている菊丸の表情はよく判らない。
手を握ったままリョーマは菊丸に近づいた。
リョーマもすっかり背が伸びて菊丸と目線は同じになっている。
空いている右手をそっと伸ばして朝陽に反射して明るく光る赤っぽい茶髪のくせ毛に差し入れて後頭部を支える形で左手を引っ張り菊丸の身体を90度回転させた。
すると優しく微笑む菊丸の表情が露わになる。
「俺を受け入れてくれるの?」
「そーゆー事になるかな」
菊丸の肯定の返答にリョーマの心臓が跳ね上がる。
そしてゆっくりと顔を近づけ・・・唇を重ねた。
「A Happy New Year!」
唇が離れた瞬間菊丸が言った。
「まだ新年の挨拶してなかったじゃん」
リョーマもにっこり笑って言う。
「A Happy New Year. Thank you from senior this.(あけましておめでとう。先輩これからもよろしく。)」
「じゃあ行きましょうか」
再び歩き出した二人の手は先程までと違って指を絡ませる所謂“恋人繋ぎ”になっていた。
終
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